和噺

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ゴーンの噺

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        和噺   
                         R2/01/09
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おはようございます。僕です。まずは、ゴーンさんのニュースから。記者会見、それ自体を見てはいないけど、報道されている雰囲気だと、「犯罪者が何を言っているのだか」という感じですね。「言い訳に終始した」とか言われてますが、いや、そりゃそうやろと。他に、あの場で何を言うねん。すげー、悪意のある言い方だなと思いますね。日本社会から、とても嫌われているんだなということは、ひしひしと伝わってきました。
 
そもそも、これはゴーンさんに限らずだけど、逮捕されたっていうと、イコール「罪を犯した」と思われるでしょう。それが違うんですよ、逮捕されたっていうのは、ただ逮捕されただけであって、罪を犯したわけではない。裁判で無罪になることも、あるわけだから。だけど、逮捕されて容疑者になった時点で、もう「犯罪者」って感じですからね。それ違うやろと、いつも思います。覚醒剤とかで「逮捕」されたら、慌てて大河ドラマから消すしね。沢尻エリカも無罪だったら、どうすんねんと思う。
 
もっと言えば、逮捕されて無罪になったところで、普通の雰囲気というのは「どうせ悪いことしたんだろうけど、証拠がなかったのかね」みたいな感じでしょう。もう、逮捕ってこと、容疑者ってことへの、悪感情が凄すぎる。そりゃ、何人も刺して現行犯逮捕みたいなのは明らかに悪いことが分かっているけど、判決が下っていない状態では、推定無罪の原則ってのが、近代社会の基本でしょ。そんなの、完全無視ですわ。推定有罪の原則ですわ。
 
それが、ゴーンさんの言うところの、逮捕されたら有罪率99%という異常さ、なんですよ。それってもう、警察が裁判所になっているということですから。逮捕されたら、終わり。本来の三権分立では、司法で有罪となったら、そこで初めて罪が確定するのに、司法が全く存在を成していない。警察や検察が司法という実態です。まぁ、これを機に、どうにかなることを期待するけど、たぶん「ゴーンが悪い」で終わるだろうね。
 
レバノン国民もゴーンを嫌っている」とか、まぁ、日本人読者に心地の良い報道ばかりが流れてきますね。それが資本主義なのかな。お客様(読者)の喜ぶことを言うのが役目。本来、報道っていうのは、資本主義の枠に入れたらいけないんですけどね。視聴率を気にする、読者の受けを気にすると、ポピュリズムになる。ゴーン関連報道からは、そんなのを感じています。
 
さてさて、それはそれとして。別の話。働きアリの1割だったか3割だったか、とにかく一定の割合の働きアリは働いていない、という話があります。ほとんどのやつは働いているんだけど、ずっと見ていても、何もしていない奴がいる。じゃあ、ってんで、その働かない奴を取り除いたら、みんな働くかというと、そうでもない。それはそれで、また同じくらいの割合で、働かない奴が出てくる。
 
逆に、働かないアリだけを集めてきても、今度は、ほとんどが働くんですって。どこが、その研究をしているか知りませんが、まぁすごい仕事ですよね。アリが働いているか、働いていないか、ずっと観察している仕事。そもそも、その人間は働いているのだろうかという、メタな疑問が浮かんでしまいますが。子供に「お父さんの仕事は何?」とか言われたら「アリをずっと見ている仕事だよ」とか言って。あ、お父さんリストラされて公園でアリを見ているのかなと子供、思っちゃいますよね。
 
まぁ、そんな話があるんですよ。アリっていうのは、昆虫でも、というか全生物の中でもトップクラスに社会性の発達した生き物です。社会性というのは「みんなで一つ」ということです。アリは1匹では生きられない。何千匹、何万匹という集団が最小単位、それで一つの生き物なんです。働きアリはそもそも生殖能力が無いから一個体では生物として成り立っていないし、女王アリは生殖能力はあるけど、自分で餌をとることも出来ない。それが社会性ということです。
 
社会性の中では、働かないということにも、役割があるんでしょうよ。あえて理由をつければ、いざという時のために待機しているとか。で、一生(働きアリの一生)、出番が無いこともあるだろうけど、それはそれでいいじゃん、みたいな。まぁ、本当の理由はどんなところだか、アリに聞かなきゃ分かりませんが、人間が予想できる理由ってのは、せいぜいそんなところでしょう。ともかく、集団でいればこそ、働かないという役割も、働くという役割も、現れるのです。
 
人間社会も似たようなものだろうと、僕は思っています。優秀な人ばかりを集めて集団を作っても、みんながみんな、素晴らしく働くわけではないし。また、ダメ人間ばかりを集めてきたとしても、その中でリーダーシップをとって働く人も出てくる。集団の中での、個体の役割というのが、あるのです。当たり前だけど、いくらリーダーシップのある人間ばかりを集めてきても、みんながリーダーになるわけはない。みんながリーダーってのは、もう、それ自体が矛盾ですから。
 
違う言い方で言えば、鶏口となるとも牛後となるなかれ、ということです。なんだろうね、この文章、マックブックで書いているんだけど、「けいこうとなるともぎゅうごとなるなかれ」をマックブック、知らないのでしょうか、変換出来ないね。傾向とか言ってくるし。ぷぅぅ。
 
鶏口ってのは、ニワトリの口、つまり小さな集団のトップでいること。牛後というのは、牛のお尻、つまり大きな集団のドベでいること。大きな集団のドベでいるよりも、小さな集団のトップの方が良いですよという、ことわざです。これも、社会性のバランスということです。大きな集団だったら、埋もれてしまう人材でも、小さな集団のトップにいれば輝けるということ。働かないアリが、優秀な働きアリになるということです。
 
ですから、僕は企業の採用でも、学校の入試でも、優秀な人ばかりを取ろうとするよりも、もう、ざっくり誰でもいいから取ればいいと思うんですよ。そうしたら全体として、バランスよく回るんじゃないの。それが集団主義。今の社会のよくないところは、優秀な人は優秀な人ばかりで集まってしまうところ。みんな牛後に、望んで、なりたがるからね。結果、埋もれている人が、いっぱいいる。優秀な能力を持っているのに、牛後となっている人が、たくさんいる。
 
大企業や中央官庁の牛後の人に、ぜひやってもらいたいなと思っているのが、市町村長ね。町長とかいうと、ええ、そんな大それたこと、とか思うかもしれませんが。例えば、うちの近くの村なんか、人口が400人ぐらいですよ。高齢化率も70%ぐらいだから、まともに活動できる人と言ったら、100人もいないかもしれない。100人のトップと考えたら、大したことないでしょう。それで、予算規模としては何十億円か、あったりしますから。市町村長って、面白い仕事だと思いますよ。
 
ゴーンさんみたいに、よそから、と言っても日本国内だけど、高い年棒で村長や町長を引っ張ってくるというのも、ありだと思うんですけどね。変なしがらみも無いから、組織改革できると思うし。やっぱり、地元の人間だと改革が難しいのは、親戚縁者、同級生、先輩後輩、もう、いろいろあるんでしょうよ。いろんなところに気を遣わないといけないから、やっぱり、大きく変えるというのは難しいんですよね。だから、そういうのが関係ない人がやるのが、一番いいんですよ。
 
ま、しがらみが無いからといって、バリバリ効率化したら、それこそゴーンさんのように嫌われて、村を追われるかもしれないけど。ま、それはそれでいいんじゃない? 東京に戻ればいいだけだし。ゴーンさんみたいに、逮捕されることは、無いでしょう。日本を敵にしているわけじゃないからね。むしろ、改革して田舎の財政を良くしたら、地方交付税が減って、東京の人にとってはヒーローになるんじゃないの。とか思う。
 
そういうのを、共通の政党を作ってやるのも、面白いと思うけどね。地方議員じゃなくて、市町村長を狙っていく戦略。数千人ぐらいの村や町なら、全戸を回るのも可能だし、ガチれば選挙で勝てると思いますけどね。東大卒の人とか来たら、ネームバリュー(学歴バリュー)で勝てるんじゃない? 大組織で埋もれているよりは、面白いと思いますけどね。そんなとこー。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
放し飼いしていたニワトリが発泡スチロールを食いまくっていたので、慌てて発泡スチロールを撤去。何、あいつら味覚、無いの? 体、大丈夫なんだろうか。卵の殻が発泡スチロール製とかにならないだろうね。心配。
 
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