和噺

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仕事の噺

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        和噺   
                         R2/01/08
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仕事って何なんでしょうね。お金を稼ぐことでしょうか。家事や育児は仕事でしょうか。それらは、普通は、仕事だと捉えられませんよね。やっぱり、会社に出勤して、お給料をもらうというのが、仕事というイメージ。オンオフをはっきりさせるとか、ライフワークバランスとか、そういう言い回しからも、仕事と生活は別物である、という常識が見てとれます。
 
在宅ワーク、テレワークというのが、今一つ浸透しないのも、そういう常識が強いからかなと思います。家にいたら、働いている気がしない。やっぱり、ネクタイ締めてスーツ着て、電車で会社に行ってこそ、働いているという気がする。この「気がする」っていうのは重要で、いくら在宅ワークで稼げても、なんか世間的には「まとも」な仕事をしていないよね、という感じになると思います。だから、やらない。やりたくない。恥ずかしい。そんな感じ。
 
こういう「常識」は、いつ頃、形成されたのでしょうね。たぶん産業革命以降、日本で言えば明治以降。家は「ライフ」であり、職場は「ワーク」。出勤して、働いて、家では休む、リラックスする。そういう常識を形成していったのです。なぜなら、富国強兵のためには、多くの工場労働者が必要だったから。そのためには、ちゃんと、朝8時に来るということを「常識」にしなきゃいけなかった。みんなが「働かなきゃ」いけなかった。ちなみに、その常識を形成する機関が学校です。だから学校は8時に始まります。
 
じゃあ、それ以前は、どうだったのか。生活がそのまま仕事でした。それは、区分できないものでした。家事や育児が区分できないように、全ての仕事が、そうだった。生活と仕事は混じり合っていた。というか、そもそも「生活」や「仕事」という概念が無いから、混じり合っているも何も無いのですよ。だから、ずっと働いていたとも言えるし、ずっと遊んでいたとも言える。
 
明治初期、人力車の車引きを見た外国人が、驚いたのです。その外国人は、人力車を雇おうとした。そこには、数人の車引きがいた。誰が車を引くか。みんな、暇をしているから、誰も仕事をしたいはずなんですよ。外国人は、どうやって仕事をする人を決めるのだろうかと見ていると、車引きたちはワイワイと集まって、くじ引きをした。で、当たりを引いた人が、仕事をゲットした。その間、ずっと車引きたちは楽しそうに笑っていた。その光景に、外国人はすごく驚いたのです。
 
仕事だというのに、なんでこんなに、この人たちは楽しそうなのだろうか、と。つまり、この時、江戸の名残を色濃く残す明治初期、ヨーロッパではすでに「仕事」と「生活」には明確な線が引かれていた。仕事は苦しいものであり、生活は楽しいものである、という線が引かれていた。その苦しいはずの仕事を楽しんでやっている日本人を見て、外国人は驚いたのです。
 
その時、日本は、まだ生活と仕事が分かれていなかった。例えば、育児は苦しみでしょうか。大変な時もありますが、楽しい時もありますよね。仕事だって、そうです。車引きが、たくさん人力車を引けば、苦しい時もあるでしょう。でも、久しぶりの仕事だったら、楽しんで走るでしょう。お客さんがいない時は、仲間とおしゃべりするでしょう。お客さんがきたら、くじ引きで決めるのも楽しみです。そこには、ただ生きているという状態があって、それで社会が回っていたんです。
 
さて。最近、寒いですね。我が家では毎日、薪ストーブを炊いています。うちは、薪ストーブの上に、網があって、そこに何かを置けるようにしているんですよ。リンゴがいくつかあったので、スライスして、そこに置いておいたのです。そうしたら、ドライフルーツになるんですよ。1日ぐらい置いておいたら、しんなり乾いて、美味しいドライフルーツが出来上がるんですよ。
 
僕が、このドライフルーツをビニールパックに入れて、農産物直販所に売れば、普通に売れます。さて。ここで、僕がやっているドライフルーツづくりは、仕事でしょうか。テレビを見ながらリンゴを剥いて、薪ストーブの上に置いて、乾いたものをビニールに入れて、自分が農産物直販所に買い物にいくついでに、売ってくる。働いている感覚は、ゼロです。生活の中で、ちょっとしたものを生み出して、お金に変える。ただそれだけのことです。
 
お昼ご飯を作るついでに、お弁当を10個ぐらい作って、売ったらどうでしょうか。土日に、家のガレージで不用品を売るのは、どうでしょうか。それは、生活の一部にお金が入り込んでいる、というか、生活の一部で他者と関わる時にお金をやりとりしているというだけであって、いわゆる、スーツを着て働くというのとは、違う働き方です。自分の時間を売っていないですから。そこには、自由があります。時間を売らないで、お金を生み出しているのです。
 
生活にオンオフがあるというのは、大変なことです。毎日、戦っているようなものです。多くの人にとって楽な、幸せな生き方というのは、できるだけ、オンオフの無いライフスタイルです。働いている感覚の無いまま、生きているというのが、理想です。商店街にある、何をやっているんだか分からない喫茶店とか、中華料理屋とか、あるじゃないですか。最近は、そういう店もずいぶん減ったと思いますが。なんか、お店というより、その人の家で、ごはん食べているようなところ、あるでしょう。
 
ああいう店の人は、オンオフが無いですよね。働いているという感覚は、少ないと思います。ずっと家にいるようなものでもあり、ずっと働いているようでもあり。それは、もう、ただ生きているというだけです。たまに、家に来るやつに、ごはんをあげるのです。それでお金が入ってくるから、生きているだけで、生きられるということです。それは珍しい生き方ではないのです。今では珍しい生き方になってしまったけれども、人類の歴史を通じて、ほとんどは、人間はそうやって、ただ生きてきたのだと思います。
 
こういう生き方をするのは、田舎の方がやりやすいです。なぜなら、都会では、ほとんどの人が「働いて」いるからです。人間は周りに影響されます。だから、周りに働いていない人が、たくさんいるところの方が、良いのです。そうそう、「ポツンと一軒家」でいつも違和感を感じるんですよ。捜索隊の人が、畑にいるおばちゃんとかに「お仕事中、すいません」とか言うでしょ。いや、仕事してねぇよ、畑にいるだけだよ、って思う。そして同時に、ああ、このテレビマンは「仕事」しているんだなと思う。
 
畑にいるのは、畑にいるだけですからね。別に、仕事中じゃないですからね。いや、そりゃ「仕事中」の人もいるでしょうよ。農業生産法人の従業員とか。でも、家の横の畑で何かしているのは、仕事ではない。畑にいるだけです。だからね、「すいません」だけでいいんですよ。赤ん坊を連れたお母さんに「お仕事中、すいません」とか言わないのと同じで、畑のおばちゃんにも、言う必要は無いのです。
 
そういう意味で自分を振り返ると、仕事、したこと無いなぁ。その昔、大戸屋中目黒店でバイトした時ぐらいだな、仕事したなと思ったのは。そして、それはそれなりに忙しくて、それが楽しくもあったけど、ストレスフルでもあったね、今から思えば。こう、オンのときはアドレナリンがドワーっと出て、オフの時はシュウウウンってなる感じ。それは、多くの人にとって当たり前かもしれないけど、あまり無い方が良いですよ。穏やかに、ただ生きるように生きていられるのが、健康的だなと思います。
 
──【おまけのはなし】────────
 
予告通りというか、夕方配信です。朝から用事で高知市内へ。帰ってきて昼寝して、って昼寝どころか夕寝ですけどね。そう、疲れたなと思ったら昼寝できるような環境が、普通の環境ですよ。昼寝ひとつ出来ないのは、異常な環境です。
 
さて、今夜はゴーンさんの記者会見やね。ネットフリックスでドキュメンタリーやるようだけど、嵐といい、カルロスゴーンといい、すごいねネットフリックス。そう、ネットフリックスでビルゲイツのドキュメンタリー見たけど、面白いです。オススメ。ファミレスでウォーレン・バフェットと食事しているところなんか、普通におじいちゃん2人って感じで、ああ、ビルゲイツもただのおじさんだなと思えてきて。楽しい。
 
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