和噺

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草の名前の噺

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        和噺   
                         R2/01/02
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おはようございます。僕です。昨日から今朝にかけてみる夢が初夢ですよね。何か見ましたわ。全く思い出せないですけど、見たことは、たしか。うーん、富士山麓の茄子農園が鷹に荒らされる夢だったかな。こいつぁ春から縁起がいいわぇ。
 
さて。我が家の敷地は、約10ヘクタール。東京ドーム3個分ぐらいあります。もっとも、東京ドームに行ったことは子供の頃に一度きりなので、東京ドームの広さにピンと来ませんが。逆に「うちの3分の1」と言われたら、ああ、東京ドームはあのぐらいか、と分かりますが。で、そんな我が家なんですが、ここに住み始めた当初、僕には野望がありました。それは「うちの敷地内のことを、全て理解したい」というもの。
 
どういうことかっていうと、例えば、その辺に草や木が生えています。でも、名前を知らないんですよ。そりゃ、カヤとかオオバコとかペンペングサとか、メジャーどころは分かりますけれども、全部が全部、分かるわけではない。だけど、うちに生えているものですからね。知っときたいと思って、植物図鑑を買って、調べたんですよ。まぁ、植物なんて多く見積もっても、1000種類ぐらいやろうと。1日、3個を覚えていけば、1年で全て把握できるだろうと、そういう計画ですわ。
 
そして、虫や小動物も、また然り。こんなのもせいぜい数百種類だろう、と。これも1日、2個ぐらい覚えていけば、1年で全部、理解できるやん、と。そうやって、植物、生き物、または飼っているヤギのこと、ニワトリのこと、犬のことなど、とにかく「我が家の敷地」という範囲内のことは全て分かった状態でいたい、という夢があったのです。
 
まぁ、実際にやってみて、数日で諦めましたが。うん、そんなに好きじゃなかった。夢中になれなかった。学ぶというプロセスに喜びを見出せなかった。全部、木やん、草やん、で納得できる人間だったんですね、僕が。そりゃ、原始時代の人なら、草は薬、木は道具、生きるためにそれらを学ぶ必要性があったのだろうから、一生懸命、学んだのだろうけど。僕、現代人ですから。病気になったら、普通に病院に行くし。なんか、全く必要性を感じられなくなって、草木辞典も本棚でホコリをかぶっている有様ですわ。
 
という体験の小噺から何が言いたいかというと、生活のスペシャリストになろうと思った時、それは、現代で言うゼネラリストになってしまう、ということなんです。現代社会というのは、ほぼ全ての人がスペシャリスト(専門家)として生きる社会。車を作る人、それも、ハンドル部分のみをデザインする人、また、スタッドレスタイヤの素材を研究開発する人、というように、ごく狭い範囲の事柄を専門とするのが、普通の仕事です。
 
それは、社会の規模が大きくなったからです。とある人が開発したタイヤの新素材は、世界中で使われるわけで、その人の仕事は何億人かに影響を与える。逆に言えば、とある消費者の人生に何億分の1かの影響を与えれば、それで良いということなんです。10億分の1×10億=1なわけで、10億人の人に、微量な影響を与えれば、それは立派な一人分の仕事になる、ということです。
 
ちなみに、10億人の人生に1万分の1ぐらいの影響を与えると、10億×1万分の1=10万。一般の人の10万倍の仕事をしたということで、普通の人の生涯賃金が2億円としたら、2億円×10万=20兆円。Facebookとかがやっているのは、こういうことかなと思います。
 
さて。社会の規模が拡大すれば、一人のスペシャリストが社会に与える影響が大きくなるから、それだけ細分化された仕事が発生するということです。人生の10億分の1ぐらいの、些細な範囲の仕事であっても、成り立つのが、数十億人が経済的に繋がりあっている現代社会の仕事ということです。
 
一方、僕が「敷地内のことを全部、把握したい」というのは、自分の周りにあるものを100%把握したい、自給自足願望に近いものです。それは、1人の人生に1分の1の影響を与えることを目指す、というようなものです。1×1分の1=1です。社会への影響は、この場合、皆無だけれども。ただ、その場合、知識量としては1分の1、全てを把握していることになる。生活に安心感があるということです。
 
自給自足願望というのは、社会に対する不信感の現れじゃないでしょうか。見も知らぬ人のことを信用するというのは、なかなか難しいですから、人して普通の感覚だと思います。トンガのカボチャとか誰が作っているか分からんやん、Amazonとか意味不明やん、それよりは自分で把握できることの範囲で安心して生きていきたい、という願望。これが、信頼できる相手ならば、自給自足願望は起きないんですよ。隣の親戚が作ったカボチャならば、安心して食べられるということです。
 
社会が拡大するにつれて、人と人との結びつきが拡大し、その結果、自分の人生の大半を見知らぬ他人に依存することになったのが、現代社会です。そういう生活に不安を感じる人がいる。というか、普通は感じると思いますけれども。理性で「Amazonは信頼できる、だってあれだけの大企業だし、内部監査もしっかりしているし、隣の親戚よりもよっぽど信用できる」という人は、あまり、いないんです。実際に信用に値するかどうかではなく、気持ち的に信用するのが難しいということです。
 
そういう、見知らぬものに生活を依存していることに対する反動として、自分の人生を、生活を、自分で把握したいというカウンター願望が出てくる。僕が、敷地の草木を全て把握したいと思ったのも、そういうことだと思います。自分が把握している範囲をできるだけ拡大して、安心できる、物理的な土地を増やしたいという願望ですよね。
 
まぁ、そうはいっても、電気は使うし、ネットは使うし、車だって運転するし。全てを自分で把握することなんか、出来ないんですけれども。だから、気分の問題です。自給自足したいな、自分の人生を把握したいなっていうのは、気分の問題なんだけど、そういう気分の問題こそが、人生で一番重要なんじゃないのとも思う。なぜなら、人生とは幸せに生きるためのものであって、幸せとは気分だからです。幸せとは、幸せな気分でいることなのです。そんな感じ。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
薪ストーブをつけていて、ちょっと大きな薪を強引に入れようとしたら、ストーブの天板、っていうのかな、三次燃焼させるための部屋を区切る鉄板があるんですけれど、それが外れて落下しました。ストーブ内部で。時々あるんですよ、年1ぐらい。やってしまったなぁ。これ、つけるの難しいんだよなぁ。しかも、燃えている最中には危険だから、ある程度、火が鎮まったところで、つけようと思うけれども。何事も、強引なのは、いかんねぇ。余裕を持ってやらなきゃいけませんね、何事も。
 
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