和噺

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LGBTの噺

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        和噺   
                         R1/12/30
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ハリポタのJKローリングさんが、LGBT関係のツイートで炎上したとか何とか。ちょっとそこの辺、掘り下げます。おはようございます。僕です。年末ですから、大掃除をしていますよ。掃除は気持ちの良いものですね。
 
LGBTの問題の前提として、ほぼ全ての人が「男と女」というものが世の中に実在していると思っているんですが、本来は実態としての、男も女も無いんですよ。まず、そもそも、男も女も概念でしかない。フィクションの概念なんです。便宜上、そこで区切ったということで、そこで区切らなきゃいけないわけではないのです。
 
世界に存在するほとんどのものは、線でキレイに区切れるようなものではなくって、グラデーションになっています。男と女、そのどちらにも当てはまらないLGBT、細かく分けようと思えば際限なく分けられるものでもあります。「体は女で、だけど主観的には自分を男であると思っており、そして性的対象は男」とか、もう、お前は一周回って普通の人や、みたいなのも、名前を付けようと思えば付けられて、LGBTの一種に入ってくるわけです。そりゃ、際限が無い。
 
例えば、世の中の色を赤と青に分けようと思っても、その間にある色も、たくさんあるわけですよ。黄色はどっちに入るの、緑はどっちに入るの、となるわけです。世の中にある色に細かく名前をつけて、サーモンピンクとローズピンク、みたいにしても、まだそのどちらにも当てはまらない中間色もあるわけです。
 
人間の腕は、どこからが腕かといっても、肩と腕の境目はここですよ、みたいなのは無いのです。便宜上、ここからを「腕」と言おうというだけで、その必然性も無いし、腕とか肩という概念が無い社会だって、あり得るわけです。男と女という概念が無くっても、良い。まぁ、大抵はありますけど、大抵あるからといって、それが必然というわけでもない。というようなことは、LGBTを考えるときに、大前提として把握しておくべき事柄だと思います。
 
本来、世界には存在していない「性」というものを、人間文化が作り出して、男と女という概念を作り出し、それを踏まえた社会システムで近代国家は回っている。ただ、その社会システムによって不都合が生じている場合もあるから、そこを変える必要もあるんじゃないの、というのがLGBT問題です。
 
社会システムの問題です。トイレを男女で分ける必要があるのか、どうか。風呂を分ける必要があるのか、どうか。オリンピックの競技を分ける必要があるのか、どうか。パスポートに明記する必要があるのか、どうか。できるだけみんなが心地よく過ごすために、常にシステムを変えていく必要があるんじゃないの、という話。ケースバイケースの細かい話で、本来は分かれていないものを、必要悪として分ける、定義する必要がある、そういう類の問題なんです。
 
ただ、そのシステムレベルの話とは別に、個人のアイデンティティに関わる問題もあります。私は女である、私は男である、というのは、大多数の人にとってアイデンティティになっているんです。一方では、そこに苦しんでいる人もいるわけですが、他方で、そこを支えに生きている人もいる。男だから、やらなきゃいけない、みたいな自我で何十年生きてきた人にとっては、今、ここで「男」という概念が揺らぐことは、本人の自我を揺らがせることになるわけです。そりゃ反対しますわ。
 
だから、LGBTに対して嫌悪感を抱く。それは、その本人にとって「男(もしくは女)」であることが、重要なことだからです。自分が男である、女である、そういうことを気にせず生きている人だったら、LGBTのことなんて、どうでもいいんですよ。目くじらを立てるようなことでもない。日常的な体験からも、まぁ皆さん、そうだろうなと思うでしょうが、LGBTに眉をひそめる人は、男らしい人、女らしい人が、多いです。当たり前といえば、当たり前ですけどね。
 
こういうアイデンティティは、子供時代に築かれるものだと思います。男の子なんだから、こうしなさい、そう言われて育ってきたら、そういう方向で自我が固まりますから。だけど、人間の自我って雑多な概念の塊であって、どんな人でも、男っぽいところもあれば、女っぽいところもあるんですよ。男という概念にどっぷり浸かってやっていける人は、もともと、男っぽい人なんですけど、それでも微量の「女らしさ」は残っていて、それを人知れず吐き出すこともある。
 
それが発露するのは、性癖であったり、趣味であったり、ひょっとしたらビシッとしたスーツの下にブラジャーをつけることかもしれませんが、まぁ、それも含めて「普通」じゃないですか。人間、そんなものなんですよ。ドラえもんジャイアンの趣味が「おままごと」なのは、そういうことで、F先生は流石の人間観察力です。ジャイアンは普段、男っぽく振る舞わなければならないからこそ、趣味のおままごとが必要なんです。丸いボールの、こちら側を押せば、あちら側が出っ張るような感じですわ。
 
と考えると、LGBTに不快感を抱く人は「俺(私)はこれだけ頑張って、男(女)らしく振る舞っているのだから、お前もやれや」ってことなのかも。自分が嫌々やっていることを、他の人がやらないでいるのは、ムカつくじゃないですか。ついでに言うと、ニートを叩くのも同じ理由ですよ。自分が嫌々、働いているのだから、働かない奴に腹が立つんだと思いますよ。自分が好きでやっていることを、やらない人には、別に腹が立たないでしょう。
 
まぁ、文化的に性差が激しい、線引きがくっきりしていたところほど、LGBTの問題は膨らむでしょうね。欧米文化は、日本(江戸以前)より性差がはっきりしている文化だから、LGBTも大問題になるんですけど。そもそも、性の区分がゆるやかだった日本は、ふーん、おかまか、ぐらいで受け入れられていたんですよ。だけど、明治以降に「性差をはっきりさせなきゃいけない」っていう文化を輸入したから、なんか二重構造でややこしくなっていますけどね。
 
そんなとこ。ま、言われてみれば、ハリポタも「男らしさ」「女らしさ」がくっきりとした物語だからね。だからこそ受けたのでしょうけど。LGBTが気に食わないおじさんも、「男らしく振る舞うのも大変なんやで」って言えば、歩み寄れるかもしれませんが。なんか、それって男らしくないけどね。矛盾。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
昼間、ニワトリ小屋を開け放して、夕方、ニワトリが帰ってきたら閉めているんですが。で、この前、日中にニワトリ小屋からニワトリが出た後、ドアを閉めていたんですよ。ヤギ が入ってきて、ニワトリの餌を食べるのが嫌なので。なんか、ぶっ飛んだこと言ってますけど、そうなんですよ。ヤギを防ぐために、ニワトリ小屋のドアを閉めていたんです。
 
で、それを夕方、開けなきゃいけないのに、うっかり忘れて、夜。やべえ、ニワトリ、家から締め出されたままじゃん、と思って、その辺りを探したんですが、見つからない。一羽だけ、薪の上で寝ているニワトリがいましたが、他の十数羽が行方不明。ま、いっか、と思って、ドアだけ開けて帰りましたが。
 
カラスかぁで夜が明けて。どこで野宿したのか知りませんが、みなさん、戻ってきていました。よかった、キツネに食われなくて。そんな生活をしています。
 
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