和噺

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草の噺

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        和噺   
                         R1/12/28
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英語で「草」のことを、grassとかweedって言いますが、この2つの言葉の違いについて話します。おはようございます。僕です。年末ですね。スーパーでおせちを売り出すと、年末感が出てまいりますな。毎度のことながら、小売店のクリスマスから年末年始への早変わりは、見事なものがあります。文化的な節操のなさが、とても素敵です。資本主義!って感じで、良いですよね。
 
さて。grassとweed。よく、weedは「雑草」と訳されますが、これも完全にイコールではない。weedは雑草では、ありません。grassは、自然状態の草。weedは、人間世界に望まれずに生えてきた草、です。日本語で雑草というと、野山に自然に生えているものも雑草ですが、これは英語ではgrassです。garden(庭)に生えてくるのは、weedです。人間が管理すべき完璧な世界に生えてくる草がweedです。
 
同じ品種の草でも、野山にあればgrassであり、庭先に生えてくればweedってことです。このことから、英語圏の文化では、「人間の範囲」を、明確に定めていることが分かります。例えば、城壁で区切られた町のように。同じものでも、自然の側にあるものと、人間の側にあるものとでは、言葉が違うのです。
 
ですので、西洋の自然保護は「手つかず」が基本になります。自然保護区の考え方は、そういうものです。トラスト地とか、ですね。ここは自然の世界であり、人間は立ち入るべきではない、という線引きをすることが、西洋の自然保護です。この考え方は、日本とはずいぶん違うんです。
 
日本では、自然世界と人間世界を明確に区別していません。屋根瓦の隙間から草が生えたら「それもまた風流なり」なんて言っちゃうのが、日本文化。苔むす寺を美しいと思う感性が、日本文化。日本では、自然世界と人間世界は、グラデーションで渾然一体となっており、人間も自然の一部であるという考え方なんですね。
 
ですから、日本の自然に対する扱い方は「手入れ」になります。日本人が思い描く「自然がいっぱい」って、例えば、田んぼの風景であり、里山の風景であり、雑木林であり、村の中を流れる小川の風景なんですよ。鬱蒼とした森や、砂漠や、前人未到の洞窟といった「手付かずの自然」を連想する人は、少ない。それよりも、人間文化と自然が上手く共存している世界に、日本人は「自然」を感じます。
 
何日か前に、音読みしか無い言葉というのは、そもそも中国から入ってきた概念であり、日本には無かったものだ、と言いました。そういうことで言えば、日本に「自然」は無いんですよ。だって、「自然」って音読みでしょ。訓読みの「自然」に当たるような日本語って、無いんですよ。「くさ(草)」は生えていて、「き(木)」もあって、「かわ(川)」も「たぬき(狸)」もいるけれども、「自然」は無い。そういう概念が、無かったということです。
 
自然が無いということは、人工が無い、人間だけの世界がなかった、つまり都市化が進んでいなかったということです。「自然」を意識するためには「自然ではないところ」がなければならないのです。人間だけの「都市」がなければ、自然は生まれないのです。何かを定義するためには、そうではないものを定義しないといけない、ってことです。日本には、都市が無かったから、自然もなかった。
 
自然保護の話になると、この辺に「ずれ」が生じます。その辺の話で、日本が国際的に孤立しちゃったりすることの原因の一つは、こういう文化的な違いに気づいていないからだと思います。同じ「自然保護」の話をしているつもりでも、片方は「全くの手付かずで放っておく」と思っているのに、こっちは「適切に管理して最適の状態に保つ」と考えていたりする。だけど、実際、こういう話をする先進国の多くは「西洋文化」ですから、あちらが多数派であり、日本っておかしな国だよね、ってなる。
 
どっちが正しいとかじゃないんですけど、向こうが多数派ですからね。従ったほうが無難ですよね。で、ちょっとは気をつけておかないと、「自然保護区」の中に、平気で売店とか建てちゃうんですから。で、外国人観光客がそれをSNSで世界に晒されて、日本はおかしい、自然保護の意味が分かってない、とかになっちゃいますから。庶民が気を付ける必要はないけれども、トップで指揮をとる人は、その辺を理解しとかないといけないよね、って思う。
 
そうそう、欧米人が、捕鯨とかはすごく反対するのに、牛や豚を食べることは気にしない、っていうのも、西洋文化では、牛や豚の「家畜」は人間世界のものだから、自然の動物ではないんですよ。そこの線引きがあるのです。家畜は、人間のためのもの、ってことです。だから、クジラと牛は別の話やん、となる。だけど日本人は、そこの線引きが無いから、なんで鯨には怒って牛はスルーするのか分からない。日本人は、それは、同じものだと思っているからです。
 
もっとも、西洋文化も昔は、「家畜とは、好き勝手に使っていいよって神様がくれたやーつ」っていう幻想があったんですが、やっぱりおかしい理論ですからね。それを食わなきゃやっていけなかった時代なら、仕方なく受け入れていましたけれども、なんかトラウマがいろいろあるんでしょうね。その心理的な反動の受け皿が、ベジタリアンだと思っています。そもそも、生き物を殺すことって、生理的に嫌なことですし。だから、西洋でベジタリアンは広く受け入れられているんじゃないですか。
 
ま、そんなこんなで、うちの周りにもweedが生えまくっているんですけどね。僕は、僕の土地は、僕の世界だと思っていますから。grassが生えているとは思いません、weedです。江戸時代の日本人なら、それもまた風流、なんて思うのかもしれませんが、僕は東京育ちの現代っ子。西洋的に、ビシッと管理されている自然に、美を感じてしまいますね。日本人も変わったものだと、我ながら思います。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
うちの3歳の子供がサンタさんに「ウサギ」をリクエスト。で、アマゾンで「ウサギ おもちゃ」でググったところ、馬のように乗るウサギのぬいぐるみ、いや、これはぬいぐるみではないな、中に空気を入れて膨らますやつなんですが、硬いので風船というより人形に近いやつです、そういうのがあったんですよ。
 
で、サンタさん、リクエストに応えて、そいつをアマゾンに発注してやったんですが。四つん這い状態のウサギに、三歳児が乗って遊ぶ、みたいなやつ。これ、顔がミッフィーなんですよ。この、裸で四つん這いのミッフィーが、すごく違和感。なんだろうと思ったら、あれですわ、進撃の巨人ですわ。巨人化したミッフィーみたいなんですよ。
 
ほら、ミッフィーって、普通は二足歩行して服を来ているじゃないですか。それが巨大になって、素っ裸になって、四つん這いですよ。巨人化ですわ。なんか注射されたミッフィーですわ。夜中、トイレに行く時とか、見るとギョッとする。オススメです。
 
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