和噺

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かわいそうなイノシシの噺

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        和噺   
                         R1/12/13
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ダレノガレさんがツイッターで「イノシシかわいそう」って発言したら炎上した、ってネットニュースを見たので、お、田舎者としてひとこと口を挟んでネタにしたいぞ、と思った冬の明け方。おはようございます。僕です。パソコンが冷たいです。
 
さて。どんな話かっていうと、箱根の商店街にイノシシが出没して、生ゴミとか漁っている。で、危険だから駆除しようとか、そういう話になる。それに対してダレノガレさんが「イノシシの居場所をとってしまっているのは人間だよね。悲しいね。食べるものがないから街に行くしかないのよね。イノシシだって人間が住む街に行きたいわけじゃないはず。だから、危ないけれども、イノシシを殺さないでほしいな」とツイート。
 
それに対する賛否両論で、「殺さないで山に返してあげてほしいですね」という賛成意見もあれば「獣害に困っている全国の農家に同じことが言えますか?」という反対意見もあり。起き抜けにスマホでネットニュースを眺めていた僕の目に飛び込んでくるほどには、この話題が盛り上がったということです。
 
ところで「ダレノガレ」ってどういう意味やねんと思ってググったら、1年前にNHKの「日本人のおなまえっ!」という番組で、その由来追跡をしていたそうです。ブラジルの名字で、「ダッレ」と「ノガーレ」の2パートから成り立っており、「ダッレ」は「〇〇から」という意味。英語のfromと同じだそうです。で、「ノガーレ」は、
クルミの林という意味。つまり「クルミの林から(来た)」という意味だそうです。何それカッコいい。
 
起源として、何語なんだろうか、ネット情報だけでは分からなかったけど。クルミの原産地って、地中海沿岸地域だから、あの辺のクルミ主食の狩猟採取民族が、近辺の農耕民(都市民)と出会って合流した時に、農耕民から見た彼らが「クルミの林から来た人々」という意味の一族になったのかな。で、その一族の名を引き継ぐものが、後年、ブラジルに移民として渡り、日本人と結婚してタレント活動をしている、とか。夢、ひろがリング。面白いね。
 
さて。イノシシかわいそう問題ですよ。こういうニュースに対する僕ら田舎民の反応は「そんなことで騒いで、かわいいねぇ」です。イノシシが街に出てニュースになるって、これは逆に言えば、田舎町にコンビニが出来てニュースになっているようなもの。都会の人は「え、コンビニが出来てニュースになるの?」と思うでしょう。そんな感じで「え、イノシシが出てニュースになるの?」という感想です。
 
で、そんなイノシシを、警察だとかテレビ局だとかが、追い回して捕まえようとしている図は、滑稽です。撃てばいいのに、と思う。そりゃ街中だから禁猟区で撃てないのだろうけど、麻酔銃とか撃ち込んじゃえば? なんか特例とか作れないのかね、街中のイノシシは警察からの要請があれば猟友会に発砲の許可をするとか。撃って終わりの話でしょう。で、みんなで美味しく食べて終わりの話でしょう。
 
それを、何十人もが関わって、追い回して、結局捕まりませんでしたって、どんだけ税金の無駄遣いをしているんだ、と感じます。人件費だってタダじゃねぇぞ、と。まぁ、捕らえるなら捕らえるでいいんだけど、その作業効率の悪いさというのが、最も印象に残りますね。
 
なので、普通の田舎民としては、イノシシがかわいそうとか、うわぁ大変だとかいうより、「捕まえて食べればいいじゃん」です。というか、どうでもいいじゃん、ぐらいの感覚かな。要は、こういう、イノシシがかわいそうとか、でも農家さんが大変とかの議論が盛り上がるのって、頭の中の議論だからですよ。情報と情報だけで、外部入力が無い状態での議論だから、内部だけで加熱して盛り上がるのです。では外部入力とは何か。それは、現実です。
 
現実が「言葉」という概念に落とし込められたものが「情報」です。で、その情報だけのやり取りをすると、結局、煮詰まった状態になるから、出口の無い話し合いになる。まぁ、先日の話に書いたように、その出口の無い話し合いの中から正解にたどり着けるはず、と考えるのが、聖徳太子以来の日本文化ですが。さて。有効な話し合いのためには、外部入力が必要で、外部入力とは、現実の体験です。こういう事例があったから、こう思う、と。話合いをする目的は、外部入力を多くする、ということでしょうね。
 
イノシシ問題の場合、かわいそうと言っている人も、農家に同じことが言えるのかと憤る人も、おそらくどちらも、イノシシを見たことが無い。イノシシを殺して食べた経験も無い。漂白された情報だけのインプットで議論するから、そりゃ、何の出口もありませんわな。議論、盛り上がりますわな。だって互いに、自分の思い込みだけで話しているんだから。外部入力が無い状態での意見の相違は、出口を見ません。
 
もし、これが、イノシシの生態、自然界の中での位置、人間界への被害、などの「現実」を知っている人たちが話すのであれば、全然違う話になるんですよ。こういう事態が起こらないように、どうするか。また、起こった場合にどうするか。という、現実的で具体的な議論になる。それは、有効な議論。いろんな、個々の「現実」が寄り集まって、より正しい現実の共通認識が出来て、その現実に即した現実的な対策が生み出される。
 
まぁ、情報社会というのは、現実を見ないで見た気になる、ということでもあります。いや、すでに現実を知っている上での情報なら価値があるんですけど。イノシシについて詳しい人が、「箱根にイノシシが出没」という情報から得られるものと、全くイノシシについて知らない人が同じ情報から得るものは、違うので。だけど、ほとんどの人が、情報だけのインプットしかない、最初に情報ありき、なんです。現実ありき、ではなく。だから、どうしようもない話になってしまう。
 
だから、現実を見ることが大事。それは、田舎の自然に触れろ、というだけではなく、都会でも、自分の五感で感じること。それが現実、だよね。もっと自分の感覚に自信を持った方がいい。快と思うことは理由なく快であり、不快もまた然り。情報よりも、そっちが正しい。でも、その感覚を正常にするためには、現実の経験が必要。現実の経験が無い状態での感覚は、信用ならない。だから、いろんな現実の経験を積むことが大事だよ、って話。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
そんな話をしながらも、自分を振り返れば、意識的に新たな「体験」をしていかないとな、でも意識的にやっていないよな、と反省。何か、新しい体験をしたいなぁ。今年の新しい体験は、オキュラス、スケボー、トランペット、マウンテンバイク、空き家購入、とかかな。今年中に、あと3つぐらいは、新しい体験をしたいね。何かオススメあれば教えてください。
 
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