和噺

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祖母の戦争の噺

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        和噺   
                         R1/12/08
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おはようございます。僕です。12月8日。といえば開戦の日ですね。1941年だから、えっと、2019引く1941で、78年前ですか。78年前、戦争スタート。今はアンタッチャブル(復活おめでとう)の山崎さん並みにボケ倒している僕の祖母が昭和2年生まれ、92歳ですから、14歳の時か。終戦時に18歳。超、多感な年頃だな。
 
祖母の戦争体験というのは、ちょっと独自でして。父親(僕の曽祖父)が冷凍の倉庫を持っている会社に勤めていたか、重役だか、まぁ結構良い立場の人だったらしいんですよ。で、戦時中とはいえ、魚は獲れるわけです。みんな、冷凍庫を使いたい。で、漁師っていうのか、そういう会社ですよね、魚を獲った会社が父親につけ届けをする。鯛の尾頭付き、とかを持ってきて、どうぞこれで優先的に入れてください、みたいな。賄賂ですわ、魚の賄賂が来る。
 
で、そういうのを受け取って、魚が食卓に並ぶ。戦時中だけど、毎日、舟盛りみたいな。毎日、お刺身。あと、果物とかも山ほど来るから、食うに困るどころか、ありすぎて困るみたいな。で、当時中学生の祖母は、その当時、散々刺身を食べたから、今では刺身も寿司も嫌いです。逆に、アジの開きや、焼き鮭が一番うまい、と言う。カボチャやサツマイモばかりを食べて、見るのも嫌になったという話はよく聞きますが、刺身を食べすぎて嫌になったというのはレアケースでしょうね。(ちなみにカボチャは大好き)
 
そんな祖母も、人並みに嫌な戦争体験というのは、あったようです。8人兄弟ぐらいの長女で、その立場からか、お父さん(冷凍会社の偉い人)のカバン持ちみたいな形で、色々なところに行ったんですって。機関車に乗って。そしたら、そこにアメリカの戦闘機が来た。撃ってくるんですって、機関車を。まぁ、機関車は鉄の屋根があるから大丈夫らしいんだけど、窓の外で、その辺を歩いている人が撃たれるのを見て、可哀想だなって思った、だとか。
 
本人の劇的な体験ーー例えば空襲を生き延びたとか、飢えで苦しんだとか、そういうのは一切、なかったそうなんですが。まぁ、個人のパーソナリティもあると思いますけどね。ほとんど何も気にしない人ですから。世の中に対する興味が、薄い。機関車の外で人が撃たれている光景を見て、それがトラウマになって小説を書いたりとか、そういう人もいるでしょうけど、祖母の場合は「あら、可哀想に」ぐらいで消化できる。出来事に対する消化力が強い人なので、あまり何とも思っていないんですよね。
 
ということで、本人の面白い戦争体験はそんなに無いんですが、弟や妹の疎開体験の話を、祖母からよく聞きました。僕にしたら、大叔父とか大叔母になるんですが。疎開したんですって。祖母のすぐ下の妹2人と、弟が1人。で、妹の一人は、気が強い。もう一人の妹は、美人。弟は、気が弱い。という3人で、疎開したそうなんです。
 
で、いじめられるんですって、田舎の子に。なんだ都会モンが、みたいな。ナチュラルに蹴っ飛ばされたり、殴られたりする。特に弟がイジメられる。なよなよしているから。で、弟は、もう帰りたい、お母さんに会いたい、となるんです。でも連絡の取りようもない。手紙を出そうにも、学校の先生に検閲されるから「帰りたい」なんて書けるわけがない。
 
そこで、気の強い妹。弟にしたら、お姉ちゃんですが。このお姉ちゃんが、あたしに任せろってことで、弟の手紙を受け取って、夜、こっそりと寮を抜け出して、地元の農家に行って、すいませんこれこれこういう訳で、この手紙を出してくれませんか、と、弟の手紙を託したというのです。おお、ドラマチック。で、その手紙を見たお母さん(僕の曽祖母)が迎えに来た、みたいな話。ちなみに、美人の妹は、みんなにチヤホヤされるので、幸せな疎開生活を送っていたそうですが。
 
後日談。戦後、祖母は普通のサラリーマンと結婚して家庭を築くのですが、病気で入院した時に、この美人の妹が見舞いに来た。そしたら、担当していた医者が、この美人の妹に一目惚れして、医者の嫁になって裕福に暮らしました、というのが後々のストーリーです。美人は得するね、という話。気の強い妹は、東大の近くで下宿屋をやって儲けて、その娘(祖母の姪っ子)が区会議員とかやってる。気の強さが遺伝したのかね。
 
で、気の弱い弟。戦争は生き延びたのですが、戦後、友達に誘われてバイクの後部座席に乗って、交通事故で投げ出され、車に轢かれて死んじゃいました。当時、二十歳ぐらい。その轢いた車が、かりんとう屋の車だったそうで、曽祖母は、それ以来、かりんとうを食べなかったそうです。ちなみに祖母は普通に食べます。出来事に対する消化力が強いので。関係ないじゃん、みたいな。
 
終戦の時、どう思ったのか、祖母に聞いたこともあるですが「特に覚えていない」そうです。ショックとかじゃなくて、ただ単に気にしていなかったでしょうね。そういう人も、世の中にいるんですわ。日本の行く末よりも、目の前の皿洗いとか洗濯の方が大切という、正しい庶民が。祖母は、そういう人間です。
 
あ、もう一つ。祖母から聞いた面白い話。南京大虐殺関連の話。祖母の従兄弟が、当時、南京を攻めていた日本軍のメンバーの一人。で、占領して南京入城する時に、祖母の従兄弟が、先頭で旗を持って入場する役割だったんですって。
 
で、その時の、祖母の従兄弟の気持ちが「死んだな」と。もう、絶対に撃たれるやん、先頭で旗を持つとかって。ああ、死んだわー。もう無理ゲーだわー。って気持ちだったんですって。要は、南京入場の時も、全然、相手が壊滅しているとは日本軍(少なくとも祖母の従兄弟)は思っていなかった。まぁ結果は、撃たれずに終わったので、ああ助かった、という気持ちだった。
 
という話を祖母から聞いていたので、南京大虐殺とか無かったよな、少なくとも何十万人が殺されたとかは、あるはず無いよな、と僕は思ってました。だってそんなことがあったら、そっちの話をするはずじゃん。だけど繰り返し話すのが「入城の時に旗を持ってたから殺されると思った」だけなんだよ。ハイライトがそこって、そりゃ大虐殺的なのは、ありませんわ。と思ってる。
 
ついでに、もう一人の話。戦後、祖母と結婚したサラリーマンの祖父。大正生まれ。もう死んでますけど。この人は、徴兵されて、中国に砲兵として配属されたらしいです。なぜ砲兵かというと、背が高かったから。大砲は馬に乗せて運ぶから、乗せるのに、背が高い方が都合がいいんです。だから背の高い人は砲兵になるんですって。確かに180センチ近くあったと思うし、当時としては、めちゃめちゃ背が高いですよね。
 
で、馬に大砲を乗せては、歩いてどっかに行く、というのが祖父の戦争体験です。だけど、この祖父、目が悪くてメガネをかけていたんです。で、戦場でメガネを失くしたら死ぬなと思ってたので、夜、寝るときも、絶対にメガネを外さなかった、と。2、3年。メガネ、つけっぱなし。
 
で、メガネをかけた祖父が、結構、昭和天皇に似ているんですよ。だから周りから「宮様(みやさま)」ってアダ名で呼ばれていたんですって。「おい、宮様」とか。なんだろ、天皇陛下万歳とか、不敬罪とか、そういうのとは全然違う、ほのぼのエピソードですけど。ガチの戦闘に加わった体験も無いようだから、ほんと、2、3年、中国を歩き回って帰ってきた、みたいな話です。
 
まぁ、そうやって二人とも運良く生き残ったから、僕がいるわけですが。いや、人生って不思議ですね。七十数年前に祖父がメガネを外さなかったから、僕が存在するわけですから。生きてるだけで丸儲け、ってやつです。僕もあなたも皆さんも、偶然が折り重なって生まれたのですから、ラッキーと思って楽しく生きたらいいですね。そうやって子孫がエンジョイした方が、戦争で亡くなった人もうかばれるんじゃないのかね。ってことで、やりたいこと、ゲームでもスポーツでもしたらいいですよ。また明日。チャオ!
 
──【おまけのはなし】────────
 
今日はモンゴル人とBBQの予定。ヤギをやるわけじゃなく、普通のBBQ。鶏は潰そうと思っていますけどね。あと、狩猟期間が始まって、イノシシ肉が大量にあるから、それをモンゴル人にあげる。彼ら、逆ベジタリアンっていうの、肉しか食わねぇみたいな人ですからね。
 
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