和噺

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快楽の噺

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        和噺   
                         R1/12/02
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僕は人間の本能というものを結構、信頼していて、人間は世界にポンと放り出されても、そこで上手くやっていく本能を、ある程度は、有しているのではないか、と思っています。ある程度というのは、やっぱり、文化も言語も何一つ無い状態でポンと放り出されても無理なわけで、その辺は、人為的な文化を積み重ねてきた歴史が必要なんですが。まぁ、現生人類誕生以来、数万年、人間は地球で生き延びているんですから、やっぱり世界とのバランスは取れていると思うんですよ。
 
人間のDNAは、何によって人間を動かすのか。「快楽」です。生存に必要なものは快楽であり、生存に不利なものは不快なのです。人間の快・不快というのは、人間が世界で生きるために必要な感覚なんです。何に快・不快を感じるかというのを、本能と言います。僕は。
 
栄養を取るために、人間にとって有用なものは、美味しく感じる。毒は、まずく感じる。子孫を残すために性行為は快楽であり、危険なハチやヘビやムカデは不快に感じる。疲れたら眠くなる。獲物がいれば興奮して追いかけて、仕留めれば嬉しい。そういう狩猟能力を持っている男は、カッコよく見えて、せっくすしたくなる。すると優秀な子孫が増える。基本的に、本能の快・不快に従って生きていれば、世界はうまいこと回るんです。
 
その世界は、幸せだったと思います。てな感じで、原始時代が幸せだったという言い方をすると、いや、昔は子供は死ぬし、大人も長生きできないし、獣にやられることもあるし、病気は治らないし、何が幸せやねんと現代人は思うわけですが、幸せというのは主観ですから。科学的に測るのであれば、どれだけ快楽ホルモンが分泌されるかで幸せは決まる。という意味で言えば、原始時代の人間は、現代人より幸せだったと思います。
 
だって現代人、眠くても寝れないし、仲間のいる安心感も無いし、人口密度は高いし。快楽ホルモン、全然、出ていないでしょう。幸せじゃないんですよ。食料もあって、住居もあって、生存への心配は何一つ無くなった社会なのに、人間は幸福ではなくなった。不思議なことです。
 
どうしたらいいのか。社会全体をどうすりゃいいのかはアイデアがありませんが、個人なら簡単です。周りを気にせず、好きなことをすればいいのです。でも、周りは気になります。今まで長年、浸ってきた価値観も気になります。これを両方、追うことは難しいんですよ。二兎を追う者は一兎をも得ず。集団の中にいる安心感をとれば、個人として不幸になりがち。だけど、集団から離れて、個人で快楽の道を行けば、集団に属する安心感は得られない。
 
両方を得るためには「幸福な集団」に属すればいいんですが、なかなかこれを日本で探すのは難しい。宗教団体なんかは近いと思うんですが、その宗教団体が、相対的には「日本社会」に比べたら小さいですから、やっぱり、集団に属するという安心感を得にくい。どこかで「自分は間違っている」という思いが、拭えない。
 
日本から出て外国に行く、という手もあります。みんなニコニコしているような国に行けば、それはそれで幸せになるかもしれませんが、言語の壁、文化の壁、そしてやっぱり自分は日本人である、みたいな思いも捨て切れませんから、普通。ま、でも半年も住めば言語は何とかなりますから。現地の人と結婚して永住する、なんていうのは、幸福への近道であろうかと思います。
 
時代を現代から数千年、いや、1万年ぐらいかな、巻き戻して。なぜ、人間は幸福な生活を失ったのか。農業ですよね。農業っていうのは、辛いんですよ。快楽とは、ほど遠いんですよ。タネをまくのも、畑を耕すのも、水田の水路を作るのも、苦しい作業です。ただ、そうしたら、狩猟採取よりも安定的に食料が取れて、人口が増えた。本能というルールが想定していなかった、バグ技みたいなものです。農業。
 
本能は、狩猟採取をして100人ぐらいの集団で生きていくのが、この世界での人間の最適解だと思って、だから、その行為に「快楽」が付随するようにしたんですよ。だけど、どっかの、チグリスユーフラテスあたりの馬鹿がバグ技を見つけた。農業は苦しいけど、これをやると、すげー食料が取れる。だから苦しいけど、やったんです。マゾですわ。馬鹿ですわ。おかげで後世のみんなが苦労するハメになるんですわ。
 
農業をやったら、苦しいけど、人口は増えるんですよ。増えると、強くなるんですよ。そうして、農業は広まっていったんですよ。農業が当然となると、人間はすぐ、狩猟採取の幸福な時代を忘れてしまいますから、人生こんなものか、と思うようになる。人生は苦しいものだ、という考えになる。本能に従うのは幼稚な人間、馬鹿な人間という価値観になる。僕は、聖書のアダムとイブの話は、農業によって人間が苦しみを得た物語ではないかと思っていますが。幸せなエデンの園には、戻れなくなってしまった。
 
そのバグ技がさらに広まっていったのが、現代社会。人間の苦しみが何から来ているかというと、繰り返しますが、本能の思う最適解が、最適解ではなかったということ。現代の働き方の最適解が、アマゾンの倉庫でひらすら同じ作業をすることであるのならば、そこに快楽を付与しなければいけなかったのに、そうなっていない。だから現代人の働き方は、苦しいのです。同じ作業をするのも苦しいし、人と競争するのも苦しいのです。
 
現代社会での最適解なら、人を人とも思わず、というぐらいの方が成功しやすいんです。だから、共感性の本能が低い、一般的にサイコパスと呼ばれる人の方が、成功しやすかったりします。ま、ひょっとしたら、サイコパスと呼ばれている人々は、一足早く本能をアップデートさせた人かもしれませんね。農業社会や、工業社会に対応した本能を有している新人類。共感性が低い方が生きやすい世界になってきた、ということかもね。
 
さあ。こういう問題は結局、我々は何のために生きるのか、みたいなことになるんですが。難しいよね。現代社会で快楽だけを追えば、犯罪者になっちゃうし。お金も無いのに、食べたいものを食べたら、犯罪ですから。現代社会は、快楽をストレートに追うことは、出来ない仕組みなんですよ。その中で、バランスをとって、快楽を追求して、今風の言い方をすれば、やりたいことをやればいいんだけど、そのバランス感覚が難しいよね。「世間を無視して」って、言うのは簡単だけど、やるのは難しいし。
 
まぁ、しかし、こういう苦しみに対して無自覚でいるのと、自覚しているのでは、違うと思いますよ。自覚している方がマシでしょう。ただ背中が痛いと思っているより、背中にナイフが刺さっているから痛いんだと分かっている方がマシでしょう。自分が社会に適合できない、働くのが苦しいと思っていても、それは人間の本能的には当然のことであって、本能と世界のズレが根本原因であると思ったら、少しは苦しみがマシになるでしょう。
 
不登校も、ニートも、当たり前の話ですよ。普通、学校に行きたくないでしょう、働きたくないでしょう、当たり前じゃないですか。だけど、学校に行って、企業でつまらぬ仕事をした方が、社会が「強く」なってきて、その競争の勝者が作り上げた社会だから、それが当然となっているだけであって、本能的には、当然でも何でもない。家でゴロゴロしたいというのは、当たり前の話です。
 
ただ、人間には「集団に属したい」「みんなと一緒がいい」という本能的に欲求もありますから、そこのせめぎ合いが、現代の苦しみだっていうことですよ。究極に幸せに生きるためには、社会を変えないといけないですね。なぜなら、社会に属することは、幸福であるから。みんなが幸福な方が、僕も、あなたも、幸福になるのです。だって人間だもの。みつを。
 
──【おまけのはなし】────────
 
最近、空き家を買っております。移住者も呼び込みたいから。値段、ピンキリだけどね。今日も、一つ、空き家を見にいくよ。5年間、無人らしいけど、中はどうなっているかな。100万ぐらいかけてリフォームして、5万円ぐらいで賃貸できれば最高なんだけどね。
 
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12月3日まで投票可能です、あ、もう明日やんけ。選挙戦最後の土曜日、みたいな感じですね。よろしく! 
 
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