和噺

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信用の噺

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        和噺   
                         R1/11/28
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身も蓋もない話ですが、田舎暮らしで一番大切なことって、コミュ力だよな、と思う今日この頃。おはようございます。僕です。雨ですね。まだ今年は、薪ストーブを稼働させていないんですが、今日、始動しようかなって感じです。明日の朝、外気温がマイナスになりそうですし。
 
コミュ力。なんでしょうね、コミュ力って。細分化すれば、相手の気持ちを察する力・相手に自分の気持ちを伝える力・場に自分の感情を合わせる力、などなど、幾つものベクトルの「コミュ力」があると思いますが。
 
田舎っていうのは、もともとの共同体があって、それは、地縁血縁をベースに成り立っているから、個性が強いんですよ。逆に、そういう個性を排除して、マニュアル化したものが都会なんですよ。都会では、見知らぬ人が顧客になり、隣人になり、見知らぬ人間同士での暮らしが成り立つわけです。そこを媒介するのが、お金です。
 
今、いいこと思いつたけどさ。お金は信用を数値化したものだとは、よく言われるじゃない? キンコン西野さんとか、ホリエモンさんとかが、言っているじゃない。とすると、田舎は信用ベースの社会であり、都会はお金ベースの社会である。なぜなら都会は人間が多すぎて、信用を個々に構築するのは難しいから。だけど、インターネット・SNSによって、都会生活の中でも信用を得ることが可能になってきた、という流れかな、と思った。
 
信用とお金とは同じもので、等価交換できるもの。だけど、場所によって、どっちが強いか弱いかというのが違っている。イオンモールという「場」では、お金が100%の効果を発揮する。一方、家庭という「場」では、信用が(普通は)100%の効果を発揮する。家事がお金に換算されないのは、家族内で信用があるからですよね。家事をしたら、この家族の一員で居られる(生活を保証してもらえる)という信用があるから、家事でお金を貰えなくても問題無いのです。
 
家庭内に信頼が無ければ、夫婦で財布は別にしましょうとか、家事に対してお金を払ってください、みたいなことに、なるんじゃないのかな。良い悪いは別として、信用で結びついているか、お金で結びついているかの違いです。ただ、信用の結びつきの方が本能的に安心できるだろうから、幸福度は増すと思うけどね。お金があるという安心感は、仲間がいるという本能で感じる安心感ほどではないと思う。だって人間だもの。みつを。
 
家庭→地域→大都会、となるにつれて、個体としての互いを知らなくなるから、信用度が減って、お金の役割が大きくなる。だから、都会でお金を無くすと生きるのが辛くなるし、家庭で信用を無くすと、これまた地獄になる。家庭内では「お金」がそんなに、意味をなさない。平たく言えば、お金で愛は買えない、ということでしょうか。家庭では、お金の力が弱い、ということです。子供に対する信用とかも、ね。お小遣いをくれるからお父さん大好き、みたいなのは、いずれ冷めるでしょ。
 
コミュ力の話をしようと思ったのに、お金と信用の話になってしまいましたよ。ま、いつものことです。話は逸れますよ。だって人間だもの。みつを。
 
コミュ力の話に戻しましょう。田舎暮らしを始めたら、都会よりも「信用」が大事になります。家族に近い、ゆるーい大家族に養子として入ってきた、という感じです。そこで信用を築いていかないと、いけない。いけない、っていうこともないんだけど、そうした方が幸福に生きられるから、した方がいい。で、信用を得るためには、どうしたらいいか。そこで大事なのが、コミュ力じゃないかな、と思う。
 
相手の話を聞き、共に時間を過ごし、時には一緒に仕事をしたりして、信用貯金を貯めていく。地域の共通行事とかは、家族イベントだと思えばいいんですよ。地域の神社の行事は、家族の墓まいり。新たに、あなたが養子として加わった大家族の墓参りです。そう思えば、やらなきゃいかん、と思うでしょう。道路の掃除や、どぶさらいは、家族の大掃除です。そこに、後から入ってきた養子が、お金を出して代理のハウスクリーニング業者を身代わりで出してきたら、嫌でしょう。そういうもんです。
 
家族イベントだと思えばいいんです。忙しいビジネスパーソンも、家族との時間は大事にするでしょう。忙しいからって、子供に3万円渡して「遊んでこい」じゃ、家庭崩壊するでしょう。そうじゃなくて、一緒にキャッチボールしたり、絵を描いたりする中で、信用をつちかっていくでしょう。地域も、同じようにあるべきであって、子供とのキャッチボールのように、地域の運動会に出たり、掃除をしたりするんです。
 
家族は分かるけど、なぜ見も知らぬ他人のために、そんなことをしなきゃならんのだ、と都会の人は思うでしょう。それは、あなたの生活の中に「地域」が無かったから、どう振る舞っていいか分からないだけです。孤児院で育った子供が、幸せな家庭の築き方が分からない(と断言すると問題になるから、分かりにくい、としておきましょう)のと同じです。都会育ちで、地域の付き合いが無かったから、地域での信用の作り方や、振る舞い方もわからないのです。都会もんは。
 
これが同世代の「友達」とかなら、まだ、分かるんでしょうけどね。学校で訓練しているから。でも、隣近所の人との付き合い方、その文化を、僕も含めた都会もんは失ってしまいました。まぁ、僕はちょっと都会もんにしては特殊な育ちで、昭和一桁生まれの祖父母にメインで育てられましたから、東京ど真ん中の育ちでも、近所づきあいとか、親戚づきあいは、結構やっていたんですよ。だからナチュラルに出来る部分がある。生まれ持った才能(大体のことを気にしない)も、あると思いますけど。
 
僕は出来るんだけど、これに苦労する人が本当、多い。いや、本人にとったら、そもそも存在していないもの(地域づきあいという概念が無い)だから、苦労しているとか、失敗しているとも思っていないんだろうけど。また例え話をすれば、孤児院で育った男女が結婚して、お互いに会話もない中で個室でゲームをしていて、お互いに問題なく家庭生活を営んでいると思っている感じ。でも問題でしょう? 僕からは、そう見えるんですよ、地域づきあいをしないで浮いている移住者というのは。
 
じゃあ、どうすればいいのか。とりあえず、一緒の時間を過ごすことです。ライフハック系の自己啓発書「信用の築き方」みたいなのだったら、約束を守ろうとか、時間に正確にとか、嘘をつかないとか、そういうことになるんだろうけど。もっと根本で必要なのは、共に過ごす時間を長くすることです。時間を共にすればするほど、信用は増します、普通は。家族と同じ。一緒に過ごせば、信用は増す。単身赴任のお父さんの信用は、残念ながら低いのです。
 
もう、全然、コミュ力の話じゃなくなったな。コミュ力とか言って描き始めたけど、僕は本心では、コミュ力とか、どうでもいいと思っているから、こうなるんですよね。たぶん。僕にとってのコミュ力とは、心の壁を無くすこと。さっき、大家族に入ってきた養子の例えをしましたが、じゃあ、もっとも愛される養子は、どういう人だと思いますか? 人懐っこい人ですよ。よく懐いてくる子供ですよ。しかめっ面のおじさんも、懐かれたら、自然と顔がほころぶものなんですよ。
 
賢い子よりも、運動のできる子よりも、懐く子が可愛いものです。お菓子をあげれば笑顔で食べて、ありがと、っていう子供が好かれるんです。だから、田舎暮らしのコミュ力とは、そういうことです。田舎で起業して雇用を作る賢い子よりも、黙々と農作業をする体力のある子よりも、ただ飲み会に出てきて、注がれた酒を飲んで、ニコニコしている人が、愛される。そういうものです。理不尽ですよね。しょうがないです。だって人間だもの。みつを。
 
──【おまけのはなし】────────
 
香港女性への、日本語講座。今日は「だいたい」「ほとんど」「かなり」の違いについて教えました。いや、僕も、そんなことを考えたのは初めてで、今まで、意識して使い分けていたわけじゃないけど。「だいたい分かった」「ほとんど分かった」「かなり分かった」とすれば、だいたいは80%、ほとんどは95%、かなりは、80%ぐらいだけど、前段階であまり理解できていなくて、今、改めての説明で分かりみが増したというアクティブ感情がある、と説明しました。
 
どうでしょう。そんな感じで合っているかね。難しいねー、日本語。あと、説明を求められたけど、分からなかったのが「おかしい」と「変」の違いについて。おかしな服装、変な服装、どう違う? 変、の方が、少しだけ硬い言い方かなとか。おかしな、は、ユーモラスとか。でもピンと来ないんだよね。何が違うんだろ、「おかしい」と「変」。ヤフー知恵袋で聞こうかな。聞かないけど。
 
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まぐまぐ大賞欲しいっす。PS4より欲しいっす。12月3日まで投票できますので、よろしっく! 
 
さて。今日は雨なので、外の仕事が出来ない(やりたくない)ので、香港ガールには、鍋の焦げをメラニンスポンジ(劇落ち君)で綺麗にしてもらう、という仕事を延々としてもらっています。彼女、スマホで洋楽をかけて、大声で歌いながらやっているよ。外人の働き方ってハッピー感、あるよね! 投票は下記リンク先の左上から!
 
 
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