和噺

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煽り運転の噺

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        和噺   
                         R1/09/14
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エアガンで煽り運転をして逮捕された、というのが朝っぱらからニュースでやっていました。おはようございます。僕です。昨日はポーランド娘が去り、今日は入れ替わりにスペインボーイが来る予定です。ブエノスディアス! んー、煽り運転は最近ホットな話題だし、やってみようかな。今日のテーマは「煽り運転」で行きますよ。
 
今回のエアガン煽りの容疑は「器物破損」だそうです。エアガンで後ろから、前の車を煽りつつ、ポスポスとBB弾を発射して車を傷つけた、っていうことね。「煽る」ということに対する明確な定義が無いし、また、明確な法律違反が無いから、器物破損ということになるのでしょう。
 
さて。煽り運転を考えるにあたり、まずは「常識の変化」という話。煽り運転というのは、ぶっちゃけて言いますが「普通のこと」でしたよね。高速道路で停車させて車にはねられて人が亡くなる、という事件が起こるまでは。あれをキッカケに、煽り運転がクローズアップされて、また、ドラレコとかスマホ録画が普通にできるようになり、「極端な煽り運転」が衆目に晒されるようになった。常磐道の煽りに続き、エアガン煽りが出てきたわけです。
 
今、煽り運転が「普通のこと」から「いけないこと」へ、変わっている最中です。常識がナウ変化しているところです。その常識の変化の主役となるのは、テレビのワイドショーです。老若男女、取り揃えたコメンテーターが皆そろって眉をひそめ、煽り運転に対して糾弾する。ワイドショーのコメンテーターに「いろいろな人」を揃えるのは、いろいろな人の意見を聞きたいのではなく、いろいろな人が「同じことを言っている」という事実を描くためです。
 
老いも若きも、男も女も、芸人も学者も、みんな同じ意見を言っています。煽り運転はひどいことだと言っています。だから煽り運転はひどいんです。Q.E.D.です。新たな「常識」を作るために、ワイドショーは存在します。そうやって、日本社会では常に常識をアップデートしていきます。一昔前は「トロトロと走って煽られる方が悪い」という常識が、今、一気に塗り替えられている最中です。
 
もちろん、人によって常識は違いますからね。世代による差もありますし、社会階層による差もあります。僕なんか、ぶっちゃけ育ちの良い人間ですから、煽り運転というものが、この世に存在しているというのを長い間、知りませんでした。というか東京出身だから、車に乗ったこと自体がほとんど無かったしね。
 
ハタチを過ぎて、親戚の若い兄ちゃんの車に乗せてもらった時、その車が煽られて、というか、僕は運転していないし、後ろを見てもいないから、煽られていることも知らなかったんだけど、運転席の若い兄ちゃんが親指を下にするサイン、なんていうの、アメリカ人が喧嘩売る時にするやつ、あれを運転席の窓からやっていて、「何やってるの?」と聞いたら「いや、今、後ろの車が煽ってきたんで(やり返した)」とか言って、うわ、なんかやばい世界だなと思ったのが煽り運転のファーストインプレッションです。
 
うち(四国の山奥)の周りもド田舎だからね、煽り運転は逆に無い、という感じ。時々、軽トラが一車線の道を40キロぐらいで走っていることもありますが、別に煽られもしていないと思うし、ただ、それだけのことですよね。
 
話が逸れたね。まぁ、一昔前は常識であった煽り運転が、今は非常識になりつつある。その狭間(はざま)ですから。遅い車に対しては煽り運転を「するべき」と思っている層に、いや、それをやるとこれからは村八分にされるよと、日本社会全体で教えている最中です。
 
かように、常識というのは世代によっても、地域によっても違って、そして必然性なく変化するものです。日本社会は、そんな「常識」によって統治されています。あ、日本って法治国家じゃないですからね。常識統治国家ですからね。空気統治、というか。違法でも良いことは良いし、合法でも悪いことは悪いのです。
 
そもそも、なぜ「法律」が必要になるのか。言っても分からない奴がいるから、法律が必要になるんですよ。つまり、多民族共生により、初めて法律というのが生まれるのです。気心知れた家族内、一族内、村社会では、明文化された法律が必要ないんです。だって、みんなが常識を共有しているから。やっていいことと、いけないことの区別がついているから。
 
多民族が入り混じる大陸の社会では、法律の必要性があります。しかし同一民族、島国日本。言わずもがなで分かり合う、目と目で通じ合う、そういう仲になりたいな、の国では、明文化された法律は必要ありませんでした。ツーカーで通じ合う、男は黙って背中で語る、というのは、欧米のディベート文化とは対照的です。向こうは言わなきゃ分からない、こっちは言わずとも分かり合う、いちいち夫婦でアイラブユーなんて言ってられっか、という価値観です。
 
ただ百数十年前ですか、ペリーさんがやってきたとき、日本は弱かったですからね。仕方なく「法律」を受け入れたわけです。ただ、これは舶来ものであって、自ら生み出したものじゃないから、いまだしっくりきておりません。法律なんか、世情に合わなきゃさっさと変えればいいんだけど、他所様(よそ様)から貰ったものだから、変えるのも失礼じゃないですか。だから「解釈」を変えるんです。(憲法改正をしないのは、そういう理由)
 
法律では、高速道路は80キロ制限。誰も80キロで走っていないのに、80キロ制限。煽る方も、煽られる方も、80キロ以上で走って、法律違反しているんですよ。器物破損の前に、みんな速度違反しているんですけれども、そこはどうでもいいんですよね。常識的に、高速道路を110キロで走るのはOKだから。それを知らない奴は「非常識」な人間です。80キロ制限を守って走る非常識な奴は、煽られてもしょうがない、というのが「(一昔前の)常識」です。
 
まぁ、東京オリンピックを控えている、というのもあるんじゃないですか。インバウンドで外国人が増えてきたというのも、あると思います。彼らは「非常識」ですからね。土足で部屋を歩いたり、唾を吐いたり、タトゥーで温泉に入ろうとする「非常識」な人々です。また、外国人が高速道路を運転したら、80キロ以下で走りますよ。だって非常識ですから。非常識だから法律を守るんですよ。
 
そういう非常識な人と共存するためには何が必要か。法律です。常識の書き換えの後には、法律の書き換えが待っています。法律が世情に合わせて書き換えられるようになった時、初めて、日本は法治国家になります。その時は、日本の「常識」が無くなるです。これは法律でOKだから良いのである、という価値観になります。それが法治国家です。グローバリズムってのは、そういうことだと思います。で、非常識な人が溢れるんですけど、ま、数十年も経てば、常識人も死に絶えます。
 
これは善い悪いってことではなく、そういう流れっていうことね。価値観は変わるものだから。マゲを結っていない現代人は、江戸時代の人から見れば、みんな非常識ですからね。煽り運転もいなくなるだろうし。ま、その前に自動運転になるから、そもそも煽らなくなるかな。でも改造して、自動運転の「煽りモード」とか、つけるやつが出てきたり、とかね。「安全に、自動で煽る!」みたいな。
 
──【BOOK REVIEW】────────
 
『華僑の奥義』
 
自己啓発書、というか、成功法則の本みたいなジャンル。海外発の自己啓発アメリカ(とユダヤ)のが大半なんだけど、華僑という切り口が面白かった。そして、アメリカ的な価値観よりは、僕はこっちの方が、しっくりきましたね。
 
僕、自分の性格はすごく中国人に似ているなと思っているんですよ。日本人ぽくない。たぶん、先祖は広東省から来たと思っている。日本の自己啓発本も、僕はしっくりこないんだよなぁ。一番、この本は、そうだよねー、と思いました。僕は良かった、だけど人がどう思うかは知らない。そんな本。
 
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