和噺

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池袋交通事故の噺

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        和噺   
                         R1/09/12
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ずいぶん前になりますが、池袋の交通事故。上級国民、とか言われちゃったおじいさんが、若い母子を轢いたっていう事件。なんか、ずいぶん前って言ったけど4月のことなんだよね。4月が「ずいぶん前」とは、僕もネットっていうか、現代社会に毒されたものですな。「ずいぶん前」と言ったら50年ぐらい前のこと、ぐらいの時間感覚でありたいものだね。こんにちは僕です。みなさん元気ですか。今、子猫を飼っているんですが、カワイイですよ。
 
さて。池袋の事故の話。「老人が子供を殺すなんて、とんでもない」みたいな論調ですよね。このニュースに対する世間の反応を見て僕が思ったことは、現代社会では老人の価値は低くって、子供の価値は高いのだな、ということ。
 
当たり前じゃん、と思われるかもしれませんが、こういうのも時代や地域によって違ってくるものであり、絶対のものじゃありません。というか、人類社会のほぼ全てにおいては、基本的に、子供の価値は低くて、老人の価値が高かったと思う。子供がたくさん生まれて、その大半は死んで、大人になってからも老人になるまで生きられる人は少ない、というのが、基本的な人類社会の構成ですから。まず、数の面から言っても、老人の方が貴重であるのが大半の社会なんですね。
 
もう一つは、老人の経験というのが重要だったから。子供は何も知らないアホですが、老人は70年、80年と生きてきた中で、いろんな経験があるわけです。それこそ、数十年に一度しか起こらないような災害の記憶を持っている、唯一の人だったりする。その時どうしたらいいか知っている、まさに生き字引であり、大半の人間社会において老人の価値は高かった。
 
だけど、今は本でもネットでも知識は簡単に得られるし、何より、社会の変化が激しいから、老人が経験してきたことが役に立たなかった。しかも、みんな死なないから老人がいっぱいいる。だから価値が低くなった。一方、少子化で子供の価値は高くなった。未来の可能性という漠然とした期待を背負う。期待とは無限ですから、しかも変化する社会においては、さらに無限への期待が高まりますから、子供の価値はどんどん高くなる。だから、老人が子供を死なせると、とても反感を買う。
 
ま、そんな感じで、現代社会の「子供が重要、老人はいらない」みたいな価値観も、そういう社会情勢をベースにした価値観であって、当然、それ以上の理由も無い。人間の存在に絶対的な価値があるわけでもないし、ましてやそれが年齢により増減するなんていうことも無い。って感じのことは、当たり前のことであって、頭のどこかに常に置いておくべきだと思うんですが、実際はどうもそうじゃないですよね。
 
子供アゲの老人サゲは常識であって、疑う余地もないこと、ぐらいに思っている。調べていたら立川志らくさんがツイッターで「年寄りのせいで子供が死ぬなんてとんでもない」と発言した、みたいなネット記事があったので、例に挙げさせてもらいますけれども。とんでもないことだと、真っすぐに思うことが、現代の価値観。戦時中は、若者の命の価値は低かったから、若者のせいで年寄り(偉い人)が死ぬなんてとんでもない、という意見が「普通」だし。
 
その時代の価値観を疑いなく受け入れるっていうことは、時代によって意見は変わる、ってことです。戦時中に「若者の命は無価値」という人と、現代社会で「老人の命は無価値」という人は、同じ人だってことです。それが社会の大半であり、マジョリティー。それを、ただ多数派だというだけで善とするのが民主主義。で、数十年たったら価値観が変わって「あの時代は狂っていたね」と言う。その繰り返し、リフレイン。リフレインが叫んでる。
 
自由民主主義っていうのは、そういうことかな、と思います。それに対して、変わらない価値観があるのが、例えばイスラム。時代によってイスラムの価値観は変わらない。常に同じ。こういう社会では、老人の価値が高くなると思いますよ。だって、社会が変わらないんだから、経験のある分、価値が高まるからね。これから来る未来社会を、老人はすでに知っているわけだから。老人のアドバイスが役に立つわけです。
 
立川志らくさんが、朝の帯番組をやるそうですね。昼のコメンテーターもやっているし、まぁ、常識的なことを言う人が求められている、ということでしょう。常識的っていうのは、普通ってことです。日本の価値観って、僕は大衆主義だと思っていて、皆が思っていることが正しい、という自然発生的な民主主義だと思っているんですよ。ワイドショーのコメンテーターは、皆の意見を代弁するのが役割。尖ったことを言う人は、皆が心の中で思っている尖ったことを口にしているだけのこと。
 
これは日本の地理的な要因、また自然災害が多い、みたいな要因が大きくって、そこはいつか説明しようと思うけれども、出来上がった日本文化ってのは「みんなが正しい」なんですよ。絶対のルールがあるわけでは無い。そして、社会情勢によって、そのルール(常識)は変わる。だから、常にアップデートが必要なんです。日本の価値観は、ワイドショーで生み出されていると、僕は思っています。下らないとかじゃなくて、あれが必要なんですよ、ああいう場所が。日本文化には必要。
 
だから芸人がワイドショーの真ん中にいるのも、道理なんですよ。芸人は、皆さんのウケを狙うわけですから。お客様ありき、なんですよ。ウケるのが正義。だから、大衆迎合になる。そういう商売なんです。だから、ワイドショーにぴったりなんです。皆が心地いいことを言ってくれるから。有名な芸人さんは、そこを通り抜けられた人だから。逆に、売れない人は、自我が強すぎるから売れないんですよ。まぁ、たまに自らの自我と世間の価値観が幸運にも合致する人も、いるとは思いますが。
 
一方、アナウンサーの方が「尖がりがち」なのは、アナウンサーは芸人のようなフィルターを通ってきていないから。時々、おかしな、大衆的ではない考えを持っている人が、紛れ込んでいることもある。大衆にウケるというフィルターを通ってきた「売れた芸人」ってのは、必ず、大衆の気持ちが分かるから、ワイドショーの需要にぴったりハマったんです。
 
テレビは毒にも薬にもならんと言うけど、必要なんですよ。ふわふわと時代で移り変わる日本の価値観を、日々、確認するために必要なのです。という自覚があってやっている人はワイドショー業界にはいないだろうけど。ま、それはそれでいいんですよ。気づいたら本気になれないからね。ただ、言いたいのは、価値観ってのはそれほど絶対的なものではなく、ふわふわしたものだから、今の時代の価値観が苦しいなと思う人は、メタ視点で見たら楽になるんじゃね?ってこと。
 
働かなくてもいいし、学校に行かなくてもいいし、老人は子供より価値があってもいいし、橋本環奈さんはブスだと思ってもいいし。全ては移り変わるもの、絶対的なものなど何一つ無い、という当たり前の話です。ちなみに、冒頭の池袋の事故の話で言えば、僕は責任の99%は「車」にあると思っています。そして、その車を必要としている現代社会ね。何千人かの自動車事故の犠牲者は、自動車の利便性に対する税金のようなものです。それが僕の意見。だけど大衆的ではないから、ワイドショーには出れません。
 
──【NEWS PICKUP】────────
 
 
20から30ぐらいの独立した家と、共同のスペースがあり、そして共同作業もある、というエコビレッジ。こういうのが求められている、人気があるっていうのは、これが人間の生き方として最も心地よいからだと思います。
 
毎度言うように、100人ちょっとぐらいの集団というのが、人間が最も心地よく安心していられる集団サイズ。このエコビレッジはちょっと小さいけれども、核家族に慣れてしまった現代人にとっては、ちょうどいいぐらいのサイズかもしれない。50人から80人、ってところですかね。
 
これは本当に安心感があると思いますよ。作りたいね、こういう村。日本でもそのうち、こういう感じのがたくさん作られると思うし、そうしなきゃいけないとも思う。だって、そのほうがみんな幸せになるから。
 
ところで記事に文句を一つ。こういうのを「子供の頃に感じていた懐かしい風景」とか紋切り型にまとめるけど、いや、お前はいくつだよ、と。70、80歳ならいいけど、ほとんどの日本人はすでに子供の時から、こういう風景じゃないでしょう、と思う。激おこプンプン丸。
 
──【BOOK REVIEW】────────
 
『子どもの文化人類学』 原ひろ子 著
 
価値観を相対化するのに最も適しているのは文化人類学だと思います。ってことでご紹介。カナダの北極圏に住むイヌイットと、ジャカルタのスラムに住む子供達の生き様を紹介する本。子育てに悩んでいる人は、こういうものを読んで、価値観を相対化したら楽になると思いますよ。普通に面白い本。おすすめ。
 
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