和噺

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集団の噺

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        和噺   
                         R1/08/28
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前々からメルマガで言ってる「人間は集団の生き物だよ論」。最近、思っているのは、集団というのを一つの生命体のように考えると、より分かりやすいのではないのかな、ってこと。
 
集団を一つの生命体としましょう。頭があって、手があって、足があって、口があって、という。人間集団を、そのような一つの生命体と考えてください。ここで言う「集団」とは、例によって150人程度の人間集団としますね。
 
すると、リーダーシップを取る「頭(脳味噌)」の役割の人がいます。実際に手足となって動く人たちがいます。その手足も、身近なところで細々とした作業が得意な「手」と、遠くまで行って何かをやってくる「足」とがいます。普通に日本語で「社長の右腕」みたいなことも言うし、この辺は分かりやすいと思う。
 
さらに言えば、子供たちは若い細胞であり、体の内部で守られて育っています。大きくなったら外部との境界線に出てきます。外から集団を守る、皮膚の役割ですね。また老人は、それまでつちかった経験を持っています。たとえ手足の役割は果たせずとも、脳味噌の重要な記憶としての役割を果たしています。
 
生殖器としての役割を果たす人もいるでしょう。これは、現在の「個人の時代」には受け入れにくい考え方だろうけど、僕は、人間集団は本来、乱婚形式が自然状態に近い(本能的に満足度が高い)と思っています。乱婚っていうのは、結婚とかいう発想も特になく、適当に好きにやりまくる、って感じ。
 
ちょっと話のバランスが悪くなるけど、そこを掘り下げますね。なぜそう思うか。一つは、人間社会に浮気だの不倫だのは付き物であり、絶対に無くならない。どんな文化であっても、です。無くならないってことは、それが本来の自然状態である、ってことです。良い悪いは別ですよ。自然が良い、ということでもないですから。ただ、自然状態の方が人間の幸福度は増すであろう、ということです。
 
セックスが大層なものである、と考えるのも文化です。主にキリスト教圏の文化です。タヒチかどっかで、原住民に対して、西洋の船乗りたちが、「買春1回と、釘1本」という取引を行っていたんですね。タヒチには釘(金属)がなかった。で、釘は木材と木材を繋げられる、超便利な道具です。その便利な釘を、1回セックスの相手をするだけでくれるなんて!と、タヒチの人たちは喜んで、男(タヒチ)も女房をけしかけて売春させて釘をゲットしていた、という話があります。
 
悲劇的な結果としては、タヒチの人たちは性病に対する抵抗がなかったから、売買春によって性病をうつされて多くの人が死んでいった、みたいなことになっちゃったんですが。この話はよく、西洋人の非業さのエピソードとして取り上げられます。何も知らない原住民を騙していた、みたいな感じですよね。だけど僕が今、注目したいのは、セックスに対する価値観の違いについてです。
 
西洋人は、セックスを大層なものだと思っていた。一方、タヒチの人は、大したことじゃないと思っていた。たとえば「髪の毛を触らせてくれたら自動車をあげるよ」と言われたら、普通(の日本の女性)は、触らせますよね。だって「髪の毛を触らせること」は大したことじゃないからです。一方、自動車は大したことだからです。
 
だけど、それをサウジアラビアの女性に言ったら、どうでしょうか。サウジをよく知らないで例えに出すけど、あれだけ隠しているんだから、髪の毛を触らせるとか、相当なことでしょう。で、金(オイルマネー)があるから自動車の価値は低いでしょう。多分、そういう取引に乗ってくる人は少ないと思いますよ。誰かユーチューバーの人、現地で実験してくれないかな。殺されると思うけど。
 
どこまでが性行為であるかというのも、文化的に違うんですよ。手を繋ぐこと、キスをすること、それらはどちらも物理的に言えば「体の一部と一部を接触させていること」であり、ほとんど違いはありません。その2つの行為に違いを生み出すのは、文化です。髪を見せることが性行為になる文化もあるでしょうし、足を見せることがそうなる文化もあるし、また逆にセックスは(我々が思うような)性行為ではないという文化があっても、不思議ではないんです。
 
長々と言いましたが、要は、僕が想定しているような人間社会においては、おそらく、性行為は大して重要なものと思われておらず、乱婚状態である確率が高い、と言いたかっただけです。
 
またちょっと話を別方向に膨らますけれども、婚姻体系というのは、どういう状態でも取り得るのだけれども、単純に小規模団体での一夫一妻制というのは、子供が生まれる確率が、乱婚状態より低いです。一夫一妻では、夫原因の不妊の場合、その妻は子を産めませんから。乱婚状態だったら、妻原因の不妊はしょうがないけど、夫原因の不妊というのが無くなります。(というか、そこには夫、妻、という概念がそもそも無いけれどもね)
 
結果、乱婚状態の集団が多数を占める、ということになる。だけど、それは適者生存の結果であって、人間社会がDNAの規定によってそうなっているわけではない、ということ。例えば、トリカブトを食べたら死ぬけど、米を食べたら元気になる、こういうのはDNAの規定です。だけど、婚姻状態とかは、そうではない。「人間は〇〇である」という言葉で語れるものではない、ということです。
 
もう一つ、乱婚のエビデンスを言えば、生殖器の形と、男女での体のサイズがほぼ同じであること。ざっくり言えば、男性生殖器の、いわゆる「カリ首」の部分は、霊長類の中でも人間だけに特徴的なものであり、これは「前の男の精子を、膣内を真空状態にして掻き出すため」のものなんです。ということは、女性の膣内に、他の男性の精液があることを、人間の身体は想定している。つまり乱婚状態ということです。
 
たとえばゴリラのような一夫多妻の霊長類は、オスの体がメスの2倍ぐらいあるのが普通です。これが、一夫一妻とか、乱婚状態になると、体のサイズが同じになる。だけど一夫一妻の場合は、男性生殖器の「カリ首」の意味が分からないし、また「浮気」や「不倫」が現代社会にはびこる意味も分からない。なので、乱婚状態が正解。
 
このへんのことは『性の進化論』って本に詳しいです。興味のある方は読んでください。(メルマガの最後で紹介しています)
 
乱婚状態の結果として出てくるのが「自分の子供じゃなくても可愛い」という、人間の心理です。公園で赤ちゃんを見て「かわいいー」ってなりますよね。あと、これは男性に特徴的ですが、自分の子供かどうかなんて分からないケースも多いですよね。元カノが赤ちゃん連れて現れて「あなたの子よ」みたいに言ってきても、「そうだな、これは俺の子だ」と本能的に分からないでしょう。DNA鑑定とか必要でしょう。
 
人間(の男性)は、DNA的に自分の子供であるかどうかは分からないです。分かる本能が無いのです。また逆に、どんな子供でも、それなりに可愛いと思ってしまうものなのです。これは、つまり「集団」として子育てをしていた、ということじゃないでしょうか。集団の子供は、みんなの子供。どれも可愛い。そういう状態だったと思います。
 
はい、何の話だったか。人間集団を一つの生命体に例えた場合に、頭の人、手の人、足の人、みたいに「生殖器の人」がいるという話から、こんなことになっちゃいました。テヘペロー。生殖器の人です。すげーたくさん子供を産む(産める)人って、いるじゃないですか。ビッグダディ夫妻(離婚したけど)みたいな。ああいう人って、産むことが役割であったのだろうな、と思うのです。その人にとって、育てるのは、役割ではない場合もあるんじゃないだろうか。
 
産む人と育てる人が別だっていいんですよ。産むのが得意な人、育てるのが得意な人。それぞれの役割がある。だから「生殖器の役割」がある人も、いるんですよ。女の人もそうだし、男の人だって、ビッグダディみたいな、どんな石女(うまずめ)でも妊娠させちゃいそうな人もいるでしょう。そういう人は、そういう人の役割があったのだろうなと思う。頭、手、足、生殖器など、個々人が別々の役割を果たしている集団、それが人間集団じゃないのかなと思う。
 
で。人間がそういうものなのに「個人」をベースにして考えちゃうと、個人がその全てをやらなくてはならなくなる。これが、現代社会の不幸の大きな原因です。「個人」であることが、いけないのです。生殖器も、不得意な「子育て」をしなくちゃならない。手も足も、子供を産まなきゃいけない。頭も、手足を動かさなきゃいけない。何でもできる「完全なる個人」という幻想を追いかけているんです。そんなものは無いのに。
 
たとえば僕なんかは、人との比較で言えば、本を読むのとか好きだし、知らない土地に行くのも好きだし、知らない人と話すのも好きです。「目」や「耳」の役割かな。子育てとか、やってるけど、好きじゃないですよ。保育士とかなりたいなんて思わない。手足を使って働くのも苦手です。単調な作業とか出来ないですから。あと、リーダーシップも得意ではないです。いろんなことを知って、無責任に集団に還元する役割なんじゃないのかな、と思う。
 
ライフハック的なことを言えば、自分が集団の中のどういう役割なのかと考えて、それに適した仕事に就けばいいんじゃないですか。All Aboutに出てきそうな、大人しい結論ですが。だけど、もっと良いのは、集団を作ることですよ。誰でもいいんですよ。家族でも友達でもいい、集団を作ること。一心同体の信頼できる集団を。その集団の中で、会計が得意な人はそうすればいいし、現場で働くのが得意な人は、そうすればいい。
 
まあ、僕も含めてですが、個人ってのは不幸です。現代世界に生きるほとんどの人が不幸です。バラバラになったんです。本当に、バラバラになったんです。手が、お前には頭もあり手もあり足もある完璧な一個の人間であると言われちゃうんです。違うんです。個人はパーツであり、完全じゃないんですよ。我々は集団になってこそ、完全になれるのです。たぶん。(とか耳目が言ってます)
 
──【NEWS PICKUP】────────
 
今月の給料を使い切ってしまう3大原因とは
 
これも本能と、現代社会のズレが引き起こる一つの例ですね。人間の本能が想定する社会には、冷蔵庫も銀行も無いからね。本能的には、あるものは全て使い尽くすのが最適解になるんです。
 
──【BOOK REVIEW】────────
 
『性の進化論』
 
本文でも紹介したけど、超おもしろいのでオススメ。『サピエンス全史』よりも僕は面白かった。
 
──【しつもんコーナー】───────
 
前々から思ってたんですが、和さんのメルマガを書く速度って相当早いような気がします。
以前午前中に数回分一気に書き上げる、と仰られてたし、今回も「書き直し無し」とあります。
とはいえ毎日配信するとなるとそれなりに1日の数時間を割いてると思うんですが、そこで気になるのは、山暮らしでの時間配分です。
広大な庭の管理や家畜の世話。ご近所との交流や頼まれ仕事。保存食作り、畑仕事に子育てに筋トレ(!)に読書。そしてメルマガの執筆。1日の生活サイクルってどんな感じなんでしょうか?
 
 
ってご質問いただきました。メルマガを書くのは、最近はまとめて書いてはおらず、その日の朝に書いています。起きて、ストレッチとかして、書きます。試しに時間を計りました。今、ここまでで1時間4分。今日は長めだから、普段は1時間以内でしょうね。で、今は午前7時です。
 
あとは、別にスケジュールとか無いです。その日それぞれで適当に。外国人の手伝いがいたら、その人に仕事を割り振ったりとか。本は2、3時間は読むようにしたいけど、なかなか時間が取れないね。意識的に取らないとね。草刈りは夕方にすることが多いです、夏は。暑いから。
 
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