和噺

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ベジタリアンの噺

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        和噺   
                         R1/08/10
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うちでは外国人(に限らずだけど外国人が多い)のホームステイを受け入れていると何回か話したと思いますが、外国人に多いなと感じるのが、ベジタリアンヴィーガンとも言いますね。ベジタリアンよりもヴィーガンの方が、よりストイックな感じの意味です。
 
ベジタリアンは、結構幅が広い意味で、中には「肉は食べないけど乳製品や魚は食べる」という人もいれば、「自分では肉は買わないけど、人から出されたら食べる」なんて人もいました。ヴィーガンの場合は、本当に一切、動物性のものを口にしないという感じ。ヴィーガンと一緒にその辺の食堂に行った時、彼が冷奴を頼んだのだけど、その上に乗っかっているカツオブシを丁寧に取り除いていましたから。そんな感じ。
 
うちに来たベジタリアンたち(通算で十数人)に「なんでベジタリアンなの?」って聞くと、定番の答えは「動物がかわいそうだから」というものですね。宗教上の理由、というのは聞いたことがないです。あと「健康のために」っていう人も、二、三人いましたね。
 
ちなみに、うちにはアジア圏からもホームステイに来る人がいますが、アジア圏でベジタリアンという人には会ったことが無いです。ベジタリアンは全員、ヨーロッパ系でした。彼らに「あなたの国では、ベジタリアンの割合はどのくらい?」と聞くと、大体、10%ぐらいと言いますね。若い世代の体感的に、そのぐらいだということでしょう。10%もいるのだから、飲食店でもベジタリアンメニューがあるのが普通で、逆に日本ではほとんど無いから旅をしていて苦労する、とか言います。
 
さて。そんなベジタリアンの大枠を説明したところで、僕のベジタリアンについての考えを言いますよ。
 
まずね、嫌な人が多い(笑)。もう主観バリバリで身も蓋も無いことを言いますが、わがままなんですよ。日本人の価値観では「出されたものはキチンと残さず食べなさい」って思うから、冷奴の上のカツオブシぐらい食えや、と思っちゃうし。そして、普通に仕事ができない場合が多い。(もちろん、仕事ができる人もいる。あくまで全体的な印象ね)
 
なんでしょうかね、主義主張が激しい人たちだから、他の人と合わすのが苦手なのだろうか。例えば、僕が「こういう風に仕事をやって」と言っても、「いや、これはこうした方が効率がいいから、こうしたい」と主張する。僕は、それは効率が悪いからやめろと言っても、聞かない。で、当たり前ですが、僕の方が(我が家の)仕事について分かっているのだから、やっぱり失敗する。そんな感じの人が多いです。
 
「自分では肉を買わないけど、出されたものは食べる」的なベジタリアンは別ですね。彼らは、仕事ができる場合が多い。カツオブシを取り除くレベルのベジタリアンは、仕事ができたためしがない(ごめんね)。ま、そんなこんなの小さな体験がいろいろあって、今はうちではベジタリアンの受け入れはしていないのですが。
 
一般的なイメージとして、ベジタリアンの人は欲望に対してストイックであって、逆に肉を食べまくる人の方が欲望に忠実である、というイメージってありません? 僕はそれって、逆だと思うんですよ。動物がかわいそうだから肉を食べないというベジタリアンって、実はすごく欲望に忠実なんです。
 
なぜなら、ほとんどの人間は「動物を殺したくない」と思っているんです。肉を食べる人も、動物を殺すのが好きなわけじゃない。この間、モンゴル人と一緒にヤギを食べましたが、彼らも動物に対しては「かわいそうだ」と思っているんですよ。嬉々として殺すわけではないんです。だけど、それは食料だから、食べないと自分が生きられないから、かわいそうだけど殺すのです。
 
人間はたやすく他者に感情移入(共感)してしまう性質があるから、家畜にも感情移入します。豚や牛や鶏もヤギも、一緒にいると可愛くなります。殺すのが嫌になります。それは、ごくごく当たり前のことです。だけど、人間はもともと雑食性の生き物であって、肉というタンパク源を取った方がいいという身体的な特性があります。人間に遺伝子的にもっとも近いチンパンジーだって、肉を食いますからね。ちなみにチンパンジーの主な獲物は、別種のサルです。
 
人間も動物であり、動物である限りは、他の生命体を摂取してエネルギーとして取り込まないといけないのです。それは、どうしようもない。言うまでもなく、米だって麦だって生きていて、食べられたくはない。人間は何も食べずとも、歩くだけでも虫を踏みます。家を建てれば、本来は大地に住んでいた虫たちが死にます。生きていくだけで、多くのものを殺さなきゃいけないのは、人間である限りしょうがないことなんです。
 
だけど、感情としては共感をしてしまう。特に、人間に姿形の似ている哺乳類には、共感しやすい。殺すのが嫌になる。だから殺さない。僕は、ベジタリアンの根っこにあるのは、単なる感情の問題だと思います。嫌なことは嫌だ、だから嫌だ、ということです。それを良く言えば、心の感じ方を大切にする純粋な感情であり、悪く言えば、子供が駄々をこねているのと何ら変わりのない幼稚な感情です。
 
こういうのも結局は、人間の肉体と脳とのミスマッチ問題なんですよ。肉体というか、人間の存在というのは、他の生命の犠牲の上にしか成り立たない。だけど一方で、人間の感情(脳)は、それを嫌がる。もしモンゴルに生まれていたら、嫌だろうが肉を食べないと生きられないのだから、感情に折り合いをつけるしかないんですよ。人間のために犠牲になる動物に感謝をするとか、大切に食べるという文化(行動様式)が生まれるのです。何とか感情に折り合いをつけるのです。
 
だけど文明の発達によって、大半の人間が動物を殺さなくても肉を食べられるようになった。さらに資本主義は「欲望は正しい」という文化だから、「動物を殺しくない」という欲望を叶えるための方策をあれこれと作ってくれます。ヴィーガン用のソイミート(大豆から作った擬似肉)とかも生まれるわけです。いや、そういう製品を作る過程でいろんな動物が犠牲になっているだろ、とかは思うんですが、まあ目に入らなきゃいいわけですよ。「動物を殺したくない」と「でも食べたい」を両立したい、欲望を叶えてくれるのです。
 
僕が「ベジタリアンは欲望に忠実である」というのは、そういうことです。モンゴル人は「動物を殺したくない」という欲望を抑えて、生きているんです。欲望を抑えるというのは、ワガママではない、ということです。他者と共存するためには、自分の欲望を押し通さないことが重要です。それが大人であると、僕は思います。
 
最後に余談ですが、世の中には色々な「大人の定義」があるじゃないですか。「一流レストランで食事をできたら大人」とか、無数にあるやつ。僕が今まで見聞きした中で一番好きな「大人の定義」は、何かのドキュメンタリー番組でアラブの人が言っていた「ヤギぐらい捌けなきゃ大人じゃないよ」ってやつです。だから大人になるために、僕はヤギをさばく練習をしています。
 
──【NEWS PICKUP】────────
 
ドイツで動物園の母ライオンが、子供を食べちゃったニュース
 
こういう話で衝撃を受けたり、悲しい気持ちになったりするのも、人間がライオンという異種にまで共感してしまうからです。ライオンの感情なんか分からないのに、勝手にいろいろ解釈せずには、いれないのです。僕の予想では、ライオンは人間よりも、生涯で産む子供の数が多いから(20頭ぐらいかな?)、そして、そのうちの最終的に2頭が大人になれば良い(種は存続する)のだから、生存確率10%。そりゃ、子供が大切じゃないよね、ライオン。
 
ちょっと出来が悪かったらーーつまり体が小さかったり、病気ぽい赤ん坊がいたら、どうせ生き延びないし、自分のカロリーになるから食っちゃお、ってぐらいかもしれませんよ。単に、そういう生態だというだけのことです。それを、いろいろ解釈しようとするから、おかしくなる。あるものを、あるがままに、へーそうなんだ、ぐらいに思っていればいいんですよ。これがニュースになることがおかしい、というニュースでした。
 
──【BOOK REVIEW】────────
 
『好きをお金に変える心理学』 DAIGO著
 
メンタリストのDAIGOさんの本。読みやすいです。好きなことにお金を投資して、さらにその好きなことが成長していくと、さらにお金が稼げるようになるという「無限ループ」に入ることが、お金を生み出すコツだよ、という話です。何か寝食を忘れるほど好きなことがあるって人は、それをマネタイズする良いキッカケになると思います。キンドルなのでプレゼント無し太郎。
 
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