和噺

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労働観の噺

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        和噺   
                         R1/08/04
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2つ質問をいただいたので答えるよーの回。
 
Q1「労働観」についてどう思われますか? 前に「キリスト教の労働は神が人に与えた罰」という話を聞いて、驚いたものでして。
 
人間の労働観ってのは何か確固とした根拠があるわけじゃないと思います。生まれつき人のために働きたいという気持ちがあるとか、そういうDNA的な縛りがあるわけではない。寝て暮らすのも、一生懸命働くのも、どちらも人間的な生き方です。
 
ですが、その人間集団の置かれた環境によって、労働に対してどのような価値観があるかという「文化」が決まります。極端な例で言えば、寝ていてもヤシの実がなって、魚が簡単に取れて、寒さをしのぐ必要もない南の島だったら、労働が尊いという価値観は生まれないでしょうね。それで生きていけるから、それでいいわけです。
 
人類が豊かな自然の中で狩猟採取をしているなら、そもそも労働という概念が無かったと思います。狩りに行ったり、果物を集めたりすることは楽しいことであり、労働ではないのです。遊びと労働の区別が無い。特に嫌なことをしなくてもよかった、ということです。ただ狩猟採取の場合は、一定面積で養える人間には限りがありますから、人口が増えないように赤子の間引きとかは必要だったでしょう。
 
話が逸れますが、赤子の間引きが必要だから不幸だったとか、現代人は現代の価値観で考えますが、それが当然だったら不幸でも(少なくとも現代に比べたら)ないと思うんですよ。例えば、5000年後の人類が「昔は足で歩いて、手を動かして、しかも病気にもなったらしいよ。不幸だね」とか言われても、「別に」って思うじゃないですか。価値観ってのは、そういうことです。違う時代、違う文化の幸福や不幸を考える場合は、簡単に自分の価値観を持ち込まない方がいいですね。
 
で、そういう中でいつ「労働」が生まれたかというと、でかいのは農業ですわ。農業ってのは、本能に反しているんです。タネをまいて1年後に麦ができる、と言われても、人間の本能は1年のスパンで考えるようには出来ていません。今、あそこにある果物が欲しいから頑張る、みたいなのは本能の喜びがあるんですよ。行動と、それに対する報酬は、時間が近ければ近いほど良い。「勉強をしたらゲームしていいよ」は効果がありますが、「勉強をしたら将来いい会社に入れるよ」は効果が薄いです。
 
農業っていうのは、本能的な喜びを感じられるように出来ていないから、そこに苦しみが生まれます。1年後に麦が取れるから畑を耕すってのは苦痛なんですよ。でも、やったら食料が増えるし、狩猟採取よりは人口が増えるから「強く」なるんですよ、その集団が。だから、嫌々ながらも行うわけです。ちなみに収穫作業は狩猟採取と同じなので、楽しいですよ。麦を刈れば麦が食えるという、時間のスパンが短いですから。
 
ま、そういう感じで「農業が労働の始まりである」ってのが僕の考えです。アダムが楽園を追われる前はリンゴっていう果物を食べるという、狩猟採取の象徴的なことをしていたわけですね、とか無理やり結びつけてもいいんだけど、聖書ってよく知らないっす。もしかしたら、そんな屁理屈が結びつくかもしれない。
 
で、キリスト教キリスト教の母体となったのはユダヤ教でして、ユダヤ教ユダヤ民族)の始まりってのはエジプトの奴隷なんですよ。ファラオの奴隷が、集団脱走してイスラエルを築いたのがユダヤの始まり。で、それを率いたのがモーセ。海を割るのは、エジプトから逃亡する途中の物語です。旧約聖書の「出エジプト記」に書いてあります。
 
ともかく、キリスト教文化の根っこを紐解いていくと「奴隷」に行き当たる。奴隷ってのは、労働を強制されている人たちです。こういう人たちは、その状況を消化するための文化を築く。じゃないと心がやられちゃうから。自分たちは労働を強制されているけれど、それは何故か、という理由が必要なんですよ。
 
いつかメルマガで書きましたが、因果関係を考えてしまうってのは人間の本能です。AならばB、ってやつです。奴隷は、Bの「労働を強制されている」という結果があって、そのためのAを探す。その答えの一つが、ご質問にあった「神が人に与えた罰」だと思います。Aの違うバージョンがマックス・ウェーバーの「労働によって神に奉仕する」みたいな発想ね。プロテスタンティズムです。
 
ちなみに、キリスト教を国教とする以前のローマ文化は、奴隷を使って労働をさせていたから、市民は労働をしないわけです。だから「労働が尊い」なんて文化も考えも無かった。ギリシャアテネとかもそうですよね。労働をするのは奴隷であり、市民は学問とか芸術に励むべきという労働観(人生観)です。この場合、労働は卑しいものと言えますね。労働の必要がなきゃ、そりゃそうなります。
 
とにかく、ユダヤ教そしてキリスト教というのは、労働せざるを得なかった状況がベースにあるんです。だから、正当化のために「労働は尊い」とか「神の与えた罰」という発想が出てくる。ちなみに、この労働マンセー文化は現在、世界全体を覆っています。日本にも明治以降、入ってきましたね。
 
それまでの日本の労働観っていうのは、職人的というか、この道を極めるという仕事感であって、現代のようにむやみやたらと「働く」が神聖視されていなかったと思います。そりゃ、狩猟採取に比べれば「労働」はあったけど、西洋(奴隷文化)に比べれば「労働」は無かった。遊びと労働、趣味と労働、人生と労働、そこが区別されていなかったと思います。
 
最近の、ゆるくのんびり生きていこうよ、仲良くしようよ、みたいなのは、江戸時代の(本来の)日本文化への揺り戻しだと思っています。最近の若者が働かなくなったとか言われますが、数百年のスパンで日本文化を見れば、その方が普通。異常なのは明治以降です。富国強兵しなければ生きられなかったから、無理やり頑張った。そこで、日本にも「労働は尊い」という文化が生まれました。ユダヤと同じですね。「労働が必要」だからこそ、「労働は尊い」という文化が生まれるのです。
 
でも近年の日本は豊かになったので、明治のように、また戦後のように、労働しなければならないという強制力が弱いのです。だから当然、労働しなくてもいいじゃん、という考えが生まれるのです。だけど文化の変化ってのは一気に起こるわけじゃなくて、学校のように変化が遅い場所もあるわけです。そういう場所では、明治以降の「労働は尊い」のままで止まっているから、変化が早い実社会とのズレが大きくなる。学校で教えることは実社会の役に立たない、というのは、学校の労働観と、実社会の労働観のズレが原因です。
 
あと、最初に言った南の島のように、労働という概念がそもそも無い文化もたくさんあったと思うけど、こういう文化は戦った時に弱いから(人口も少ないので)、滅びていきました。だから、世界中が西洋文化に覆われたわけね。単に戦うと強いんですよ。その文化が広まるにあたり、構成員が幸福かどうかなんてのは関係ないんです。南の島の文化は幸福だけど、戦ったら負けるんです。日本は何とか明治期に変わったから、生き残ったけどね。
 
そんなとこかな、労働観の話。まとめると、労働とは農業により生まれた。で、労働に対する価値観に確固たる理由は無くて、その文化それぞれの状況に応じた理由づけがなされただけです。だけど、労働を尊いと思い、労働する文化の方が(構成員は不幸だけど)戦った時に強いから、世界中に広まりました。日本国憲法にも「労働は義務」とか書かれるほどに。だけど人間としてはそれは何の理由もないことです。寝て暮らしてたってOKです。以上。
 
さて。もう一つ、質問いただきました。
 
Q2 山の暮らしで、トイレってどうしてるんですか?
 
浄化槽ですね。汲み取りじゃないです。家の中は、普通の水洗トイレです。年に1回、浄化槽の清掃と点検を業者に頼んでいます。その時のコストは3万円ぐらい。
 
──【BOOK REVIEW】────────
 
『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください』
 
労働に関する本をご紹介。タイトルに惹かれて読みました。Kindle Unlimitedで。Kindle Unlimited、いいですよ。月額980円だっけかな、そんでたくさんの本が読み放題。後先考えないでサクサク本を読めます。読書好きの人は、まぁ大抵はすでに登録しているだろうけど、まだなら是非是非。
 
で、いわゆる「社畜」に向けたメッセージの本。自分が「社畜」かな、と少しでも思う人は、読んで損はないと思います。難しい本じゃない。簡単に読めます。僕は会社員じゃないから他人事なんだけど、世間ってこんなにヒドイことになっているのかと、可哀想になりました。こういうのも、元はと言えばエジプトのファラオがいけないんだよ!(・Д・)
 
書かれていることは、すべて当たり前のことなんだけど、その当たり前が当たり前でなくなっている現代社会なんでしょうね。Kindleなのでプレゼントは無しです。
 
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