和噺

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相撲の噺

ちょっと最初に、昨日の憲法改正の話の続きをしますわ。
 
昨日書いたように、欧米文化ではルールは変えていくもの。日本は、ルールは変えない。分かりやすい例として、スポーツがあります。野球のメジャーリーグでは、結構大胆なルール改変が行われるんですよね。近年では申告敬遠とか。あと一週間ぐらい前のニュースによれば、マイナーリーグの1Aでは実験的に一塁への打者の盗塁が認められるルール改変を行なっているそうです。パスボールや暴投で1塁に行けるってことね。振り逃げではなく。
 
こういう動きは、日本では絶対に出てこない。というと、日本を批判する欧米マンセーな立場に思われちゃうだろうけど、そうじゃなくて単なる文化の違いです。日本文化では、ルール(明文化されたもの)は変えるものではない。ていうか、本来の日本文化には、そもそもルールが無い。日本で物事を決める場合は、話し合いです。明確なルールに従うのではなく、その都度、決めるものです。
 
日本文化のスポーツである、相撲。スポーツと書いちゃったけど、実際、相撲は「スポーツ」では無いと僕は思いますが。なぜなら、スポーツとはルールがあるものだから。相撲には、ルールが無いんですよ。横綱に昇進するのも、お偉いさん(審議会)が相談して決めるわけです。ただ、近年の「スポーツ化」の流れで、大関で2場所連続優勝なら横綱、みたいな「ルールぽいもの」は出来つつある。
 
最近は相撲をあまり見ていないからよく知らないんだけど(9年間、地上波を受信できなかったから)、昔は「時間一杯前の立会い」がよくありましたよね。力士同士が息を合わせて、時間前に立つ。興奮しますね。ああいう、言わずもがなの息の合わせ方って、日本文化なんですよ。ルールには無い、同じ文化を共有しているからこそ、出来得ることなんです。
 
相撲はここ数年、八百長問題から貴乃花のうんたらかんたらと、いろいろありましたが、この流れは詰まる所「伝統文化からスポーツへ変わるか否か」という問題でした。貴乃花は「スポーツ派」なんですよ。ガチンコ相撲、八百長なし。これはスポーツです。世界が欧米化する中で、スポーツ化しないと生き残れないというのが、貴乃花さんの意見なんだと思います。それか、単にガチンコが好きなのか。
 
まあこれは僕の好みだけど、相撲は伝統芸能、神事として位置づけるのがいいと思いますよ。国際化できるほど万人受けする「スポーツ」には成り得ないと思うし、しなくていいとも思う。それをするなら、柔道のように体重別にしなきゃいけないだろうし、まわしの下にパンツ履かなきゃいけないだろうし、マゲも廃止ですわ。相撲がそういう方向に行ってしまうのは、僕は好みではない。
 
柔道は「スポーツ」になったけど、相撲はスポーツ化せず神事のまま。7勝7敗の力士が千秋楽で大体勝つってのも、共存共栄の皆が得する世界観でいいじゃないですか。それを八百長と言っちゃうのは無粋だなと思う。優しい世界ですよ。それは、村社会で「皆で仲良くなっていこう」という日本文化の世界であって、「ルールの中での勝敗を決めよう」という擬似戦争のような欧米文化の「スポーツ」ではないんですよ。
 
こういう問題は、日本の至る所で起こっています。「日本文化」と「欧米文化」の衝突ね。でも皆さん、欧米文化イコール「近代化」とか「グローバル化」と思っているから。「変わらなきゃいけない」と言って、効率化・ルール化こそを正義としていますが。その考え方こそが既に「欧米文化」なんですよ。
 
そもそも日本だって、変わりたいわけじゃなかったんですけどね。なぜ変わらなきゃいけないか。負けるからですわ。武力の戦いで、ここ数十年は経済の戦いで、欧米文化の方が強いから、それに負けないように強くしなきゃいけない。強くなるためには、欧米のやり方(ルール)に従わなきゃいけない。だけど、本来の日本文化と欧米文化があまりに違うものだから、そう簡単に行動を変えられない。だから「非効率」になる。
 
日本の働き方が非効率だという根本原因も、文化の違いだと思いますよ。日本文化の心理を持ちつつ、行動を欧米式にすることの齟齬があるから、非効率になる。効率的にやりたいなら欧米式でやるしかないけど、そうすると日本人は不幸になる。なぜなら、そういうやり方を本当はしたくないから。ってことです。やりたくないことを、やらなきゃいけない。そこに非効率の根本があります。
 
とか書くとね、やっぱり日本文化は効率が悪くて、欧米式の方が効率がいいから、欧米式がいいと、欧米式の考え方をする方々は思うかもしれませんが(複雑な文章になってごめんね)。なぜ、欧米文化が世界を席巻したのか。それは単純に「戦争したら強かった」からです。欧米文化が人間を幸せにするとかとは別の問題です。「強い」と「良い」は別の価値観。
 
だけど勝者の論理しか通らぬ世の中ですから「強い」は「良い」となるのです。相撲の話をしていたから、相撲の例えにするけれども、日本の総理大臣を決めるときに相撲で決めるようなものですよ。はい、白鵬が総理大臣。そういう感じ、今の世の中。白鵬は強い人間だけど、良い人間ではない(ごめん、白鵬のこと全然知らないで言ってるけど)。白鵬が日本で一番「良い人間」なわけではない。もっと「良い人」はいっぱいいる。
 
アメリカ一極集中、そしてアメリカ追随する日本を見ると、そんなことを思います。いや、アメリカがいいって言うけど、アメリカってただ「強い」だけじゃん、と。そこについていって人間が幸福になるかどうかは別問題じゃん、と思いますわ。世界各地には星の数ほどの文化、つまり「人間の生き方」があって、そこには現代文明、つまり欧米文化よりも人間を幸せにする文化もいっぱいあったんだけど、ほとんどは滅びました。単に、殺し合いに弱かったからです。
 
だけど日本は、欧米文化外の数少ない生き残りです。地の利が良かったんですね。東の地の果て、そして島国、征服したいほどの資源も無い。その辺の幸運で生き残った文化です。みんなが仲良く幸福に生きるためには、なかなか良い文化だと僕は思いますよ。(非効率だけどね!)