和噺

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憲法改正の噺

今日、選挙ですね。まぁ、このメルマガを書いているのは19日だけど。一昨日だけど。せっかく選挙だから、それっぽいことを。憲法改正について話しましょうか。
 
といっても、僕のことだから根っこの根っこから語りたくなります。好きなカレーは?って聞かれているのに、チキンカレーが好きだけど、そもそもニワトリにストレスのかからない鶏小屋の建て方は(以下略)と話し始めるような所業ですが。一つ、お付き合いください。
 
憲法改正について語るなら、そもそも「なぜ憲法を変えなかったのか」という疑問が出てきます。欧米の感覚で言えば、憲法も社会に合わせてガンガン変えていくものだと思います。ググったら、戦後だけでもアメリカ6回、フランス27回、ドイツ59回の憲法改正を行なっているとのこと。対して日本はご存知のように、0回。この根っこには、欧米と日本の法律に対する思想の差があります。
 
毎度の話ですが、ヨーロッパっていうのは多民族の文化です。一つの国の中にも、いろんな言語があったり、宗教があったり、っていうのが普通です。日本ほど同質性が高くない。陸続きですから、島国とはそもそも条件が違うんですわ。そういう、いろんな人たち、いろんな文化の人たちが一緒に住む時に必要になるのが、法律です。共通のルールです。
 
逆に言えば、もっと小さな集団ならば、ルールは必要ないんですよ。最少人間集団である「家族」を考えてください。まあ「〇〇家、家訓」みたいなのがある家もあるでしょうが、普通はありません。言わずもがなで分かるわけです。問題が起きたら、その都度、お父さんやお母さんなどの、家族内権力者の判断によって解決するわけです。家庭内のルールを明記する必要がないのです。
 
日本というのは、単一民族、非常に同質性の高い社会です。農村社会の小さな共同体、すなわち「村」が基本となって文化が作られてきました。お互いに知っている仲ですから、そこにガチガチの法律は必要なかったのです。問題が起きれば、その都度、皆で話し合って解決するようなスタイルが基本でした。
 
話し合ってはらちが開かない場合にこそ、法律があるんです。とはいえ、そんな日本社会も時には法律を出しますよ。でも、その法律が納得できないものだったら、日本人は従わないんです。江戸時代にも生類憐れみの令っていう、かなりアバンギャルドな法律がありましたが、実際に法律違反で罰則を与えたという例は、ものすごく少ないんですね。形だけの法律です。
 
法律は形だけっていうのは、高速道路を走ればよく分かるでしょう。80キロ制限を守っている人なんか、ほとんどいない。ちょっと雨が降ったら50キロ制限ですよ。でも誰も50キロで走らないでしょう。パトカーも速度オーバーしている。教習車ですら走らない。「流れにそって走ってね」とか言いますからね、自動車教習所の教官が。
 
それは、日本人のほとんど全員が「常識」を共有しているからこそ、成り立つことなのです。「言わなくても分かるだろ」ってことです。以心伝心、空気を読めよ、ってことです。
 
もし、以心伝心できない人間(民族)が国内にいるのならば、法律を実態に即したものに変え続けないといけないんです。バカみたいに50キロで走るやつがいたら、雨の日でも80キロ制限にしておこう、とか。普段は80キロ制限じゃ流れが悪いから110制限にしておこう、で、110を超えたら容赦無く切符を切るよ、となるわけです。欧米はこのスタイルです。実態と法律を合わせる必要がある。
 
でも、日本は「常識」があるから、切符を切られるのは135キロからだよねと、多くの人が分かっている。だから、法律を変える必要がないんです。80キロ制限だけど、実質は135キロ制限だよねと、誰もが分かっている、同質性の高い社会が日本です。(だから外国人観光客は困るでしょうね、常識を知らないから)
 
日本は、皆の常識の方が「法律」よりも強い社会です。常識によって、日本は成り立っているんです。だから、宮迫さんの何ら違法性のない行為に対して、社会的な罰則が下される。そういう役割は、裁判所ではなくワイドショーが担っています。ワイドショーとは、日本のルールの「常識」を常に確認し、アップデートし続ける場です。だから世間を代表する、いろいろな分野の「コメンテーター」が、世間の意見を代弁する。それこそが、日本のルールです。真の法律です。
 
では、日本における「法律」とは何か。江戸時代の生類憐れみの例も、日本国憲法も、世間とはかけ離れた外部から突如として、もたらされたものです。自分らで作ったものではないから、変えるという発想もありません。手をつけてはいけないものなんです。だから、日本は法律の文言を変えるのではなく、法律の「解釈」を変えるのです。
 
なぜ日本は法律を変えちゃいけないと思っているかの歴史的な原因は、多分、中国との関係(隋とか唐の時代)にあると思いますが、あまり詳しく知らないので、それはただの勘です。海を隔てた島国だし、とりあえず中華様のルールは手をつけずに置いとけばバレないやろ、的な対処を、千年以上やってきているんじゃないだろうか。まあ、ここは何か思いついたら、今後メルマガに書くけど、今は確信ある原因がパッと思いつかないです。情けない。
 
日本がなぜ法律を変えなくてもやってこれたかといえば、そもそも法律に従っていないからなんですよ。だけど21世紀の国際社会、特に諸外国との関係においては、日本だけ「法律ではなく世間の常識でやっていきますよ」とはいかない。欧米式に「実態」と「法律」を一致させなきゃいけない。で、いい加減、自衛隊っていう軍隊があることと、法律との乖離を誤魔化し続けられないから、憲法改正っていう流れです。
 
ところで、憲法改正の時に、言わずもがなで9条の話だと皆が思っていますが、他の条文はどうなんですか? 例えば、労働の義務。憲法27条「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と。え、じゃあ健康な体を持っているけどアーリーリタイアとか憲法違反じゃねぇの? と思うんですが。どうなんですか、このへんは。僕は、27条を改正して欲しいですけどね。権利はまだしも、義務とか余計なお世話だろ、と思う。
 
だから、ざっくりと「憲法改正に賛成ですか? 反対ですか?」と言われたら、僕は賛成ですけどね。勤労の義務とか、嫌だし。ちなみに、我が家には小学生の子供がいるので、もう一つ文句を言いますが、26条の「義務教育は無償」って守られていないし。教科書とかは有料ですけど? 実態に合わせるなら削除すべきだよね26条。こういうようにね、そもそも日本は法律の運用がグダグダですからね。
 
まあ、さすがに「日本ルールでは、法律は常識に従って解釈していきますので」で国際的に通用しねーだろってのは分かりますから、改正しなきゃならんでしょ。法律は守りましょう、っていう、世界の常識&日本の非常識。日本では、常識に従うのが常識であり、法律に従うのは非常識である。だけど、そろそろ世界と足並みを合わせなきゃ怒られる(アメリカに)。ってことです。チャオ!
 
 
──【あとがき】───────────
 
昨日の神社の話で「そんな祭りがあるんですか!?」ってメールを何通かいただいたんだけど、あるわけないじゃん。ギャグですわ。ツッコミ不在のギャグですわ。マジレスすると、お供えしてみんなでご飯食べるぐらいの、本当、ごく普通の祭事です。ほら、僕は思いついたギャグはフィルターかけずに打ち込んじゃう病気ですから。しょうがないんですよ。ちょっと病院で大脳皮質を切除してきますわ。←こういうのもしないからね。一応言っておく。