和噺

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子供部屋の噺

子供部屋おじさんって、今年の流行語候補になるんですかね。言い得て妙な、うまい造語だと思います。一応説明しておくと、結婚しないまま実家の子供部屋にいる成人男性を揶揄(やゆ)した言葉ね。一昔前のパラサイトシングルと似たようなものです。
 
この言葉を掘り下げると、そこには欧米と日本の文化の違いが現れます。
 
そもそも、日本には「子供部屋」がなかった。というか「個室」がなかったのです。日本の建築には本来、寝室も、食堂も無かった。8畳が2つと、6畳が2つ、みたいに、純粋な「この面積の部屋がいくつあるか」というだけで、部屋の目的を固定していなかったんですね。
 
6畳間にちゃぶ台を置けば食堂になり、布団を敷けば寝室になり、テレビがあればリビングになる。基本的にガランとした空間であり、そこに家具をその都度、置くことにより、部屋の目的を変化させていたのです。そもそも日本はこういう建築様式であり、生活スタイルだった。サザエさんの家ですよ。
 
そこに欧米の建築様式が入ってきました。戦後の話ですね。食事をするのはダイニング、テレビを見るのはリビング、ベッドがある寝室、というように、ある特定の目的に固定された空間を作るようになりました。そして子供部屋というのも、このころ出来ました。ドラえもんの時代ですね。のび太は部屋があるけど、カツオは部屋が無いでしょう。時代の違いです。
 
建築様式の違いの根本には、文化の違い、思想の違いがあります。子供部屋、つまりは「個室」の根本にある思想とは何か。それは「人間は自立すべきである」という思想です。では「自立」とは何か。他者に依存していないということが、欧米的な「自立」です。
 
なぜ欧米は、そのような思想になったか。根本には宗教があります。キリスト教ですね。我々は神様の子である、そこに自我の多くの部分が割かれています。前にも言ったと思うけど、自我とは行動様式です。宗教という行動様式をベースに自我が形成される。他者がいなくても、宗教(神様)があるから大丈夫。それが、欧米文化の根本にある自我(行動様式)です。
 
対して日本の場合は、神様ってものがありません。あるのは「他者」です。世間とか常識とか言ってもいいし、家族とか村とかお家(いえ)のために、というのも同じことです。戦後は家に変わって会社がこの役割を担いましたが、終身雇用の崩壊とかで最近、消え去りつつあります。で。他の人がどう考えているか、というのが日本人にとっては重要です。そこで「自我」を形成します。同調圧力とかも、そういうことです。他者に自我を依存しているから、同調圧力が生まれるんです。
 
そういう日本人から見ると、欧米人は「自立」しているように見えます。他人のことを気にせず、自分の意見を主張したりするから。でも彼らの根本には、他者の代わりに宗教があるだけで、それが日本人からは見えていないだけなんですね。ちなみに近年は神様信仰が弱くなってきたので、代わりに「理性」が登場しています。「やりたいこと」ってのも同じことです。アメリカのポジティブ信仰です。これらは神様の代替品です。
 
神様は信じられなくなったので、他の行動様式として、人間には理性があるとか、やりたいことが自然と浮かんでくるとか、そう言っているんです。ただ、これはこれで無理やりな思想なので、それに適合できない人も出てきます。アメリカでカウンセリングが盛んなのは、その辺の無理が出てきているんでしょうね。もうね、せっかく作り上げた神様を、堅苦しいからって後先考えずに無くしちゃうから、こういうことになるんですよ。
 
まぁ別に欧米の文化が悪いってわけじゃなくて、どんな文化でも完全じゃないから、どうにしろ無理は出てくるんですよ。程度の問題です。日本の同調圧力に悩む人と、アメリカのポジティブ信仰に悩む人は、ある特定の文化に適合できなかった人たちってことで、似たようなものです。
 
んで。子供部屋の話やったね。欧米では、そういう風に他者に依存しない自立を求めるから、子供部屋が「必要」なのです。他者に依存せず、個人で神様と向かい合う場所です。赤毛のアンで、アンが住むことになるグリーンゲイブルズ(緑の切妻屋根)の家で、アンはもらい子であるのに、いきなり個室があるんですよ。屋根裏部屋だけど。そこで神様に毎夜、祈るわけです。ああいう感じです。神様と私だけの空間としての「個室」です。
 
そして、そこはプライベートスペースだから、立ち入ってはいけないんです。欧米の家には、子供部屋があるのと同じく、大人の「個室」もありますよ。マスターズルーム(主人の部屋)とか言いますし。そこには、バスルーム(シャワーとトイレ)がついているのも普通です。欧米の家を「2ベッドルーム・2バスルーム」とか言い表しますが、彼らにとってはベッドルームとバスルームはプライベート(共有しない)なので、それだけの数が必要なのです。
 
日本人からすれば、4バスルームの家なんて、なんでそんなにトイレばっかり作るねん、お腹弱いんか、と思いますが。家に住む人数分だけ、ベッドルームとバスルームが欲しいんですわ、彼らは。で、みんなで集まるリビングやダイニングは「パブリックスペース」です。だから、ベッドルームでシャワー浴びて、化粧をして、それでリビングに出てくる、というのも普通です。日本と比較した場合、「家族でも他人」の感じが強いです。
 
そういう文化的背景があっての欧米建築なんですが、戦後の日本はとりあえず「子供部屋」だけ作った。なんでか理由は知りませんが、どっかのハウスメーカーがやり出して、流行ったんじゃないでしょうか。あと、子供には決定権がありませんから、あと子供はバカですし。「子供部屋ほしい?」って言われたら、チョコが欲しいのと同じテンションで「欲しいー!」って言いますから。ハウスメーカーと目的が合致したんじゃないですか。
 
大人は、自分の個室が必要ないと分かっているんですよ、大抵は。「ここが主人の部屋で、そこに主人専用のバスルームを作る」ってのは、あまり無いでしょう。日本人の生活形態としてオカシイ、ってのが分かっているから作らない。でも子供部屋は、大人は子供時代のことを忘れるものだし、なんか作った方が子供も喜ぶんじゃないの、ぐらいの感じで作ります。別の要因として、育児を「学校」に外注しているからこその、親子の断絶もあると思いますがね。まぁ、そんなこんなで子供部屋が生まれました。
 
欧米人のように「神様」や「理性」という自我の支えが無い中で、ポンと子供部屋だけ与えられたら「孤独」になります。本来の日本文化、日本人の自我の作り方は、他者(家族とか)と一緒に住む中で時間をかけて形成していくものなのに、子供部屋だけ与えられて、自立しろ、と。普通は無理ですわ。他者との付き合いも学ばないままだから、他者が怖くなります。人付き合いが怖くなります。コミュ障とか引きこもりの誕生です。
 
そういう文化的、思想的背景に誰も彼もが無自覚だから、子供を子供部屋に入れたら勝手に勉強して、そんで18歳になったら一人暮らしできるもんだと思っているんでしょうが、無理ですわ。自立ってのは、欧米のように「理性」とか「宗教」を叩き込んで、やっと出来上がるスタイルなんです。勝手にできるものじゃないんですよ。思想を真似ずに、ハード面(建築様式)だけ真似た結果、しわ寄せが子供(部屋おじさん)に行きました。
 
僕は、思想も欧米式にしろと思っているわけじゃありません。思想を変えるってのは、文化全てを変えること、もう「日本語」を禁止にするレベルじゃないと無理ですから。言語と思想ってのは、密接に結びついているんですよ。英語には無い「敬語」とか、立場によってアイ(I)、私を意味する言葉を「僕」「俺」「小生」と自由自在に変化させるとか。日本語ってのは、人間関係の文化なんです。だから、そういうのを抜きにして「はい自立しろ、理性を獲得しろ」って言っても無理。
 
もう一つ言っておくと、「理性」ってのも「神様」と同じで、無いですから、本当は。ただ、みんながあると思っているから、あるものですから。理性を獲得しろっていうのは、理性を獲得したと思い込め、ってことです。理性とは、神様を失った欧米文化の発明品です。発見したものじゃなくて、発明したものです、理性。デカルトあたりが、一生懸命、理屈を作ってみんなが納得したから、出来上がったんです。
 
そんな「理性」や「自立」を獲得できるように文化を作り変えるのは大変です。それよりは家(建築)を作り変えた方が、ずっと簡単です。今から家を作る人は、ぜひ子供部屋を作らないようにしましょう。サザエさんの家でいいですよ。みんなで布団敷いて、川の字になって寝るのが、日本人スタイルです。ぐちゃぐちゃに、いろんな人に囲まれて育って、人間関係を学んでいくと、日本の子供は比較的まっすぐに育ちます。
 
もう子供部屋つくっちゃったよ!って人は、どうしましょうね。ドアを強引に取っ払っても、それまで「子供部屋」に慣れきった子供には辛いでしょうし。ケースバイケースで、各自いろいろ考えてソフトランディングさせましょう。基本は、なるべく家族で一緒に過ごす時間を増やすことですね。一緒にご飯食べて、休みの日は一緒に買い物行って。何をするでもなく、ただ「一緒にいる時間」を増やすことです。一緒にテレビの「東大王」とか見て、ワイワイしてりゃいいんですよ。それが始まりですわ。