和噺

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演技の噺

梅沢富美男さんって何をしている人だか、知っていますか。大方の人にとっては、偉そうに俳句を作っている人でしょうけれども、元々は(というか今も)大衆演劇の役者さんですね。
 
大衆演劇梅沢富美男劇団ほどのスーパー劇団になれば、明治座レベルの小屋で公演を打ちますが、日本には地方の小さな劇場を回っている大衆演劇劇団が山ほどあります。温泉街の、数十人も入れば満員になるような小屋で、1ヶ月間、公演をします。演目は日替わり。毎日通っても違う演目が楽しめるようになっているんですね。
 
僕は何回も大衆演劇の公演を観に行きましたが、これが結構、面白いんですよ。3時間ぐらいの公演で、前半の1時間ちょっとは芝居。時代劇ですね。泣かせるものだったり、笑わせるものだったり、日替わりの演目ですが基本的に座長が「スター」で、いつも主役です。
 
そして劇団には、若手のカッコイイ役の人がいて、三枚目役の人がいて、ヒロインがいて。そこでは、カッコイイ役の人はいつもカッコイイし、面白い役の人はいつも面白いのです。その「役割」は変わらない。
 
前半部は、そんな感じの芝居があって、後半の「歌と踊り」に続きます。歌謡ショー。きらびやかな照明と衣装に包まれた役者さんが歌い踊る。マツケンサンバですわ。この「歌」も、意外と新しい歌も多くって、エグザイルぐらいは普通にかかりますからね。こういうのが大衆演劇です。
 
日本の演劇っていうのは、そもそも、こういう感じのものでした。江戸時代、山ほどあった劇団の中から、幕府のお墨付きを受けた三つの座(江戸三座)が、オフィシャルな「歌舞伎」となり、そのほかの劇団は「大衆演劇」になったのです。大衆演劇と歌舞伎は、生き別れた兄弟みたいなものです。
 
ところで、日本の役者の演技は下手くそだって、よく言われますよね。学芸会だとか、キムタクは何をやってもキムタクだ、みたいな。実は、この「日本の役者は下手」問題の根底には、大衆演劇や歌舞伎の文化があります。
 
そもそも、欧米文化と日本文化の「演技」は、全く違うものです。欧米の演技はリアルを追求します。欧米文化では、伝統的に彫刻もミケランジェロみたいなリアル系統だし、絵画もリアルですよね(印象派以前の話)。演劇もその流れで、どれだけ「役」をリアルに演じられるか、というところに重点が置かれます。
 
つまり「役者」の顔が見えない方がいい。ロバート・デ・ニーロ的なのが、最高峰の役者です。『レナードの朝』と『アンタッチャブル』では、全く違う人間に見える、ていうか知らない人が見たら、同じ役者だと思わないでしょう。役者個人を消していくのが、欧米の演技です。
(余談ですが、『レナードの朝』のデ・ニーロはマジヤベエ。あんなの間近で見たら、そらロビンウィリアムスも鬱になるわ)
 
一方、日本の演技というのは「役者」を前面に出すものなんですよ。大衆演劇も歌舞伎も、そうです。梅沢富美男国定忠治を演(や)っているのが観たいのです。中村勘九郎が髪結新三を演(や)っているのが観たいのです。そして、キムタクが首相や弁護士や美容師を演(や)っているのを観たいのです。
 
それは、欧米的な「リアル」とは全く違う価値観です。もし欧米文化の影響がなかったら、ジャニーズやアイドルの演技に対して「下手」だという批判は無かったでしょう。そもそも、リアルが上手いという価値観が、日本には無かったのです。役者は、役者の個性を前面に出してしかるべき。「役」は「役者」の下にあります。梅沢富美男中村勘九郎やキムタクは、「役」よりも強いのです。
 
もし、キムタクが「リアル」な首相を演じたらファンはがっかりしますよ。全然キムタクじゃないじゃん、と。まず、キムタクはキムタクを演じているのです。「キムタクが演じている首相を、木村拓哉氏(東京都出身・1972年生)が演じている」のです。ジャニーズも、AKBもそうです。
 
日本的な演技では、観客はその「役者」を観に来ているのです。くしくも、日本のドラマや映画を「学芸会」とからかう論調がありますが、そうなんです。学芸会で、まさか「桃太郎」をマジに見る人はいないでしょう。桃太郎を演じている「我が子」を観るわけです。ジャニーズやAKBの演技も同じです。首相を演じている「キムタク」を観たいのです。
 
その昔は、いわゆる「銀幕のスター」が存在した時代は、まだ「日本の演技」が勝っている状態でした。勝新太郎高倉健田村正和なんかもそうですね。何をやっても、その人。でも、それがいいのです。勝新太郎じゃない人が座頭市をやっても、ダメなんですよ。面白くない。まぁ、よほどの個性のある人ならいいですが。だからビートたけしならOKなんですよ。
 
しかし、徐々に欧米の映画が日本に浸透してきて、欧米的な「演技」の価値観も同時に浸透してきた。デ・ニーロ的な演技を、日本人が目にする機会が増えるわけです。そうすると、ああいう演技に比べて、日本人の演技は「下手」だ、となる。
 
また、映画とかドラマを作る側も、欧米の映画を見て育ってきた世代が制作者側に入ってくる。すると、脚本とか演出は欧米的にする一方で、役者は日本的な演技(つまりキムタク)をする。そうすると、そこに違和感が生じる。また、キムタク(さっきから例に挙げてごめんねキムタク)の周囲にいる脇役は、欧米的な演技技術のある人だったりする。すると、さらにキムタクが「下手」に感じる。
 
鈴木亮平さんのような役者さんは、明らかに欧米的な価値観の役者さんです。去年は大河ドラマの主役、それも日本人の中の日本人的な西郷隆盛鈴木亮平さんが演じ、今年の大河ドラマではオリンピック選手という欧米的な役を中村勘九郎さんが演じている。
 
こういうの、面白いですねー。日本と欧米の文化の綱引き、バランスですわ。過渡期ですよ、文化の過渡期。欧米の文化が勝つか、日本の文化は根強く残るのか。リアルな西郷隆盛と、歌舞伎役者の演じるオリンピック選手。放送するのは、公共放送NHK。これが今年の大河ドラマの見所だと思いますね。観ていないけど。