和噺

まぐまぐで配信中のメルマガ「和噺」の過去ログです

英語の噺(その3)

昨日のメルマガ(英語の話からダン君の話に逸れていったやつ)を書いた後に、ああ、そうだ、英語を話すコツでこれは書くべきだった!と思い出したのがあったんですけど、もう既に配信予約しちゃっていたので、今日の分のさわりで書きますわ。
 
日本語って、常に「子音と母音」のセットになっていますよね。カタカナ英語っていうのは、不要な母音を発音しちゃう、っていうことです。英語ってのは子音の言語です。母音が非常に少ないんです。子音のみのSとかTとかTHってのが山ほどある。
 
さ、し、す、せ、そ、っていうのはSA、SI、SU、SE、SO、って全て母音がありますよね。Sだけ単独の発音って、日本語には無い。でも英語には、こういうのがいっぱいある。Sだけ言うんです。さ、の前半分だけ。スッ、って感じの音。
 
その辺を意識すると、一気に英語ぽくなりますよ。Tも、Tだけで言う。 Cutを、「カット」っていうと最後のTが「TO」でしょ。そうじゃなくて、Tだけで止める。カッt、となる。あ、この表現良くない? カッt。打ち間違えみたいに見えちゃうけど、この方式だと英語の発音が分かりやすく書けると思う。来年のニューホライズンに採用されるな、これは。
 
まぁ、って感じで「子音だけ言う」と意識すると、英語の発音が良くなりますよ。これが「英語をうまく話す5つのコツ」の3つ目ね。4と5は暫定でポケトークを入れていますが、そのうち思いついたら何か書きますわ。
 
ここ何日か英語の話ばっかりしていたから、和風の話がしたいですね。寄席の話をしましょうか。
 
その昔、東京に住んでいる頃はよく寄席に通っていました。落語ブームが来る、はるか以前の話だから、それはそれはお客さんがいなかった。演者の方が客より多いなんて日常茶飯事。客が3人ぐらいになっちゃうと、帰ろうにも帰れない。客の33%がいなくなるってことですからね。しかもあとの2人は酔っ払いだったりするし。
 
普通に「寄席」ってのを何の説明もなく始めましたが。東京には寄席は4箇所あります。新宿の末廣亭と、池袋の池袋演芸場と、浅草の浅草演芸ホールと、上野の鈴廣亭。この4箇所は基本的に毎日、昼間から夜まで落語家とか色物の人(漫才や曲芸)が芸を披露しています。
 
ちなみに、寄席では漫才や曲芸を「色物(イロモノ)」と言いますが、これは出番を書く紙に、落語家は黒い文字で、それ以外の人は赤い文字で書いてあったことに由来します。ウンナンがやってる「イロモネア」は、そういうことね。
 
当時の寄席は、それはそれはつまらなかったんですが、今は知りませんよ。落語ブームがきて、いろいろ淘汰されて、面白い人が多くなっているかもしれません。しかしその当時の寄席ね、つまらないんですわ。どうしようもない。落語って難しくて分からない、とかいうレベルじゃないんですよ。ただただ普通につまらない。世間話して帰っていく奴とかいるからね。
 
じゃあなんでわざわざ寄席に行くのか。なんていうか、どうしようもない世界を見ることの安心感、というかね。ああ、これでいいんだ、人間こんなものだよね、的な安心感はありますよね。
 
いつ見ても、全く同じ噺しかしない芸人。しかも面白くない。そうするとね、噺の内容よりも、その人の存在に興味がいく。何の向上心もない、やる気もない、惰性で生きている。1日のうち10分ぐらい高座に出て、何となく生きている。そういうのを見てね、いいな、って思いましたね。
 
本来、芸人の世界ってそういう世界だと思うんですよ。一種の福祉みたいな、社会のセーフティーネットみたいな。普通に生きられないから、せめても見世物として、芸人として社会の隅っこにいさせてくれませんか、みたいな。それって、すごく優しい世界だし、それをピクリとも笑わずビールを飲みながら見ている客を含めて、良い世界でした。
 
芸人っていう存在にスポットライトが当たり、テレビに出たいだとか、売れたいだとか、そういうのはそれでいいんだけど。そうなると、あのガラガラの寄席にいたような、あのどうしようもない人たちの居場所がなくなってしまわないだろうか、そんな心配をしてしまいます。
 
面白くない芸人、いいじゃない。芸が無い芸人、いいじゃない。もう、その辺のことは資本主義から離れて、優しい世界で回せないものかね。それが本来の日本文化だと思う。与太郎に居場所がある世界が落語の世界なのだから、落語家に与太郎が山ほどいたっていいじゃないか。
 
つまらない落語家って、その本人の存在が落語の世界観なんですよ。そういう人間が生きてていい、落語的な、江戸的な世界観を体現しているんじゃないでしょうか。人間はどうしようもないもの、というのを受け入れるのが落語の世界であり、芸人の世界であるのに、芸人にもクリーンさや面白さが求められる現代社会。
 
こうなるとね、そういう人間を排除する世界になっていくんですよ。その方が社会の効率はいいのかもしれないけれど、幸福じゃないよね。幸福と効率って、相反するものだと思う。非効率的な世界に浸ることの幸福感が寄席にはあった、という噺でした。ではまた明日! チャオ!