和噺

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スギちゃんの噺

昨日は真面目な話(ミスターマッスルの話)をしちゃったので、今日はどうでもいい話をしましょう。スギちゃんの話をします。

以前から言っているように、僕は9年間、インターネットもテレビ(地デジ)も無いまま過ごして参りました。唯一の情報源は、衛星放送。海外ドキュメンタリーばっかり見てましたね。ディスカバリーチャンネルとか、ヒストリーチャンネルとか。ベアグリルスとかエドのサバイバル番組は、全部見ましたよ。砂漠で遭難した時にラクダの死体を見つけたら、胃袋の中に残っている残渣を絞れば多少の水分が得られるよ!みたいな知識ばかりが増えていきました。

そんな僕ですが、一年に一回、世間様の動向に触れられる機会がありました。それが、年末年始の帰省です。

帰省して実家(義実家ですが)に行く僕。義父や義母や義妹なんかと一緒に、紅白とか、格付けチェックとか見たりするわけですよ。普段は山に死体を埋めて生計を立てている僕も、こんな時ばかりは世間様の一員として、ゆったりとしたひと時を過ごしております。

紅白で歌われている歌も、ほとんどすべてが初視聴。ああ、今年はこんな人が出てきているんだねぇ、と年末年始にまとめて知るわけです。その年に売れた歌手とか芸人さんとかアイドルの方々とかを、一気に目にするわけですよ

普通の歌手とか芸人さんは、そんな感じで微笑ましく見流せるんですが。たまに、「何、この人。一体、何をやっている人なの」という衝撃を受けることがあります。その筆頭が、スギちゃんでした。

最初見たスギちゃんは衝撃でしたよ。スギちゃん、とも知らないから、半袖半ズボンの中国人みたいなおじさんが、ニヤニヤしながら「ワイルドだろぉ」とか言ってるのが、馬鹿受けしているんですよ。義妹もキャッキャと笑っているんですよ。

その時の異世界感というかね。世界のぐんにゃりする感じ。僕の721年の人生で一番、世界がぐんにゃりした瞬間ですわ。二番目は明治維新ね。

いや、他の芸人さんって、何となくですけど、何が面白いか分かるんですよ。ラッスンゴレライとかとか。まぁ、こういうのは毎年出てくるよね、という感じで、面白いのだろうというのが分かる。でも、スギちゃんだけは皆目、分からない。何が面白いんだか、どこの辺が笑いどころなのか、皆目分からない。

今から振り返れば、その原因の一つは、スギちゃんのギャグ(ワイルドだろぉ)が比較的、ゆったりしたものである、ということです。ラッスンゴレライ!っていうのは、勢いやリズムで笑かしにくる感じがあるから、まぁ分からなくはない。でも、ワイルドだろぉ、ってスローなんですよ。だから、それに対して条件反射の笑いがなくて、知らない人の置いてきぼり感が強い。

フィクションの中に出てくる芸人役、ってありますよね。僕が想定しているのは三谷幸喜作品に出てくるようなやつなんですが。意味不明な人が、意味不明なギャグをやっていて、それが受けている世界、というのを取り込んでいるフィクション作品。なんか、ああいう世界に入ったような感じ。あれ、ここは僕が知っている世界ではないのではないか。ちょっとそう思いました。

スギちゃんは、世界の常識や共同幻想というのが、客観的な現実ではなく幻想であるのだなと再認識させてくれました。我々は、幾多のスギちゃんを当然と思い生活しています。でもそれは、スギちゃんを知らない人にとっては当然ではない。神様も、お金も、未来への不安も、過去への後悔も、同じような幻想です。ただ、皆が同じように思っているから、現実化しているだけなのです。

そんなこんなで、今も時々、テレビでスギちゃんを拝見するたびに、僕は現実があやふやなものであることを再認識するのです。