和噺

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見張りの噺

昨日書いたように、おそらく人類の遺伝子的に、最適な(ストレスの少ない)人間関係というのは、150人程度の顔見知りの人に囲まれて生活すること、だと思います。そして、人間の能力というのも、150人程度の集団で生きる場合に最適な「ばらけ方」をするのではないかと、僕は思っています。

例えば、リーダーシップ。まぁ昨今、皆さん求められているんじゃないですか。リーダーシップとやらを。僕は会社で働いていないから実感はないですけれど、趣味でビジネス書を読んだりしていると、そんな感じがします。

もし人間の集団を150人とするならば。リーダーシップを持った人は何人、必要でしょうか。「船頭多くして船、山に登る」ということわざにあるように、150人全員がリーダーシップを持っていたら集団生活なんかできるわけありません。

直感ですが、リーダーシップ(リーダー気質)を持っている人は150人中、10人前後でしょう。集団内の全員がリーダーではなく、それらの中には、本当のリーダー、副リーダー数人、将来のリーダー候補、引退した前リーダー、などなど。それらをまとめて10人前後。リーダーシップを持っている人って、十数人に一人ってところだと思います。小学校のクラス(40人)に2、3人です。

これが、1000人に1人とかだと、150人という集団にリーダーがいないことになるから、あり得ない。また、3人に1人くらいだったら、これもまた「船頭多くして~」でしょう。おそらく、十数人に一人が遺伝子レベルでリーダーシップ気質を備えている。それ以外の人にリーダーシップを求めるというのは、魚に歩けっていうようなものです。みんながみんなリーダーになれる訳はないし、なる必要もない。当たり前のことですが。

断っておきますが、リーダーシップがあることが「偉い」わけじゃないんです。今の社会では、そういう人の方が高収入に結びつきやすいから、なんかリーダーシップがある方が偉いような気がしますが、これは単に役割の問題です。リーダーは偉い人がやるんじゃなくて、そういう役割の人がやるというだけのこと。「頭」と「手」のどちらが偉いか、ってのと同じこと。どちらも部分。どちらも役割。

で、リーダー気質を持っている人は頭がいいかというと、そうでもないと思います。単に気質の問題ですから。バカだけどリーダーシップ気質の人もいるし、頭がいいけどフォロワー気質の人もいるでしょう。ですが、リーダー気質のバカは集団構成員の信用を得られませんから、リーダーになる確率は低い。頭のいい人を、仮に5人に1人という区分にすれば、150人集団で「頭のいいリーダー気質」が2、3人。なんか、集団がうまく回っていきそうじゃないですか。

他にも例えば、朝型夜型なんて区分がありますよね。朝に強い人、朝に弱い人。こういうことも、人間集団を150人くらいと考えると、「見張りの必要性」から読み解くことができます。

原始社会では、みんなが寝こけてしまっては、いつ敵や動物に襲われるかも分かりませんから、普通は寝ずの番を立てます。あと、火も消えちゃいますしね。火の番という意味でも必要です。そういう生活を人類は何万年と続けてきた。これが夜型人間の原型でしょう。人間の遺伝子には、セコムやアルソックは組み込まれていないし、電気すら組み込まれていません。「夜は危険、いつ敵が襲ってくるか分からない」というシチュエーションに遺伝子は対応しています。

大半の人は、日光が出ている間が最も活動的になるでしょうが、150人のうち数人は、夜も起きていないといけないでしょう。その中でも、夜更かしが得意な人(19時から22時くらいの見張り)、一度寝てから起きてまた寝る人(22時から2時くらいの見張り)、超早起きの人(2時から5時くらいの見張り)、みたいに、どの時間をとってもアクティブな人が数人はいる状況じゃないと、集団は安心して休めないと思います。

それを現代社会では一律に、8時5(17)時で働かなきゃいけないから、夜型の人は大変でしょう。そりゃ「夜の仕事」もあるでしょうが、いわゆるちゃんとした職業は少ないです。8時5(17)時を基本に運営されている現代社会で、夜型人間は割りを食っています。

話は思うがままに逸らせるスタイルでいきますが、その昔、砂浜で花火大会の準備をしている場面に遭遇しました。立ち入り禁止テープが張られていて、そこにおじさんが一人、パイプ椅子に座ってぼうっとしているんですね。立ち入り禁止テープの内側でスタッフが準備作業をしていて、花火ですから、危険ですから、一般人が入らないようにしているわけです。

でも砂浜ですから。ビーチですから。湘南乃風ですから。アゲアゲですから。楽しくなっちゃいますから。はしゃいで、鬼ごっこの延長とかで、テープをくぐろうとする子供なんかいるわけですよ。そうすると、その座っていたおじさん、ビビビビビッってすごい勢いで笛を吹いて、鬼の形相で怒るんですよ。

普通だったら、普通の人だったら、ビーチの雰囲気を壊さないように「ボクたち、ちょっとここは危ないから、あっちで遊ぼうねー」とか言って、子供を追いやると思うんですよ。

でもそのおじさん、ビーチの雰囲気とか、子供だから手加減するとか全く思わずに、もうね、スイッチ入るんですよ。子供が1センチでもテープの中に入ったら、すげー怒るんですよ。テープの外にいて入りたそうにしている時は何も言わないで、微動だにしないで、テープの内側に入った途端、スイッチ入るんですよ。で、子供が慌ててテープの外に行くと、何事もなかったかのように、パイプ椅子に戻ってボンヤリとしているんですよ。

その時、思いました。ああ、この人は天性の見張りだ、と。見張るために生まれてきたような人だな、と。

多分、そのおじさん、現代社会では「アレな人」だと思われると思います。普通じゃないから。空気を読まないし、感情をあらわにするし、協調性はゼロっぽいし。

でも、見張りとしてはこれ以上の人材はないでしょう。ジャングルの中でも、あのおじさんが見張ってくれるのなら安心して眠れるなって思いましたもの。そして、おじさんが現代社会においても、花火大会の見張りという天職につけているのを見て、ああ、なんかいいな、って思いました。

そういう見張り的な性格の人。150人の中に3人います。早番、中番、遅番のリーダー3人です。あとの見張りは、天才見張りおじさんの部下です。おじさんに「お前はあっちを見てて、なんかあったら知らせろ」って言われて、ボンヤリと暗闇を見つめる、駄見張り野郎です。

そういう見張りおじさん、150人に3人です。50人に1人です。つまりクラスに1人います。小学校のクラスを思い出してください。見張りおじさんになりそうな子、いたでしょう。彼です。彼が見張りの天才、見張りおじさん(の幼少期)なんです。

先ほどから見張り「おじさん」と断定しており、なぜ見張り「おばさん」じゃないのかと上野千鶴子先生からお叱りのメールをいただきそうですが、こういう役割はおじさんのものです。女性は子育てがありますから。見張りは、そういう仕事のないおじさんの役割です。おじさんおっぱい出ないですから。で、いざというときは、猛獣に一人で向かっていくのは男の役割。普段は役に立たない見張りおじさんの役割です。

人間も自然の一部です。自然の前では、男女は同じ役割なんてしゃらくさいことは通用しません。そして、同じ役割じゃないけれども、誰にでも役割があるのです。リーダーシップを発揮する頭のいい人も、夜中一人で集団を守る見張りおじさんも、それぞれの役割をもって集団に所属しています。女性は、未来のリーダーや見張りおじさんにおっぱいを吸われています。

見張りおじさんは、協調性は無いし、融通はきかないかもしれないけれど、見張りという役割がありました。でも現代の都市社会、見張りは50人に1人も要りません。セコムもアルソックもありますから。猛獣も来ませんから。花火大会の見張りなんて、数万人に1人もいればいいくらいの職業でしょう。現代社会で華々しく、マッキンゼーとかに就職しているリーダー気質人間の影で、見張りおじさんは見張る対象も見つけられずにいるのです。

となると、花火の見張りからあぶれた大量の見張りおじさんは、今どこで何をしているのか。暗い部屋に閉じこもり、ネットの見張りをしているのか。いつか世界が原始社会に戻った日に、本当の見張りをするために、今はじっと備えているのか。ビーチにけたたましく鳴り渡る笛の音を聞きながら、そんなことを思った夏の日のお話でした。