和噺

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イナゴの噺

蝗害って言葉を初めて知ったのは、宮部みゆきさんの短編小説「サボテンの花」を読んだとき。この小説の登場人物に、頭の良い小学生が出てきて、国語の授業で「こうがい」の同音異義語をできるだけ書け、という問題に「公害・校外・郊外・口外・・・」と、12個ぐらい書いて、そのうち最後の「蝗害」ってのは先生も分からなかった、みたいなエピソードがあるんですね。

で、蝗害ってのはどういう意味かというと、イナゴの害、ってこと。空が黒くなるほどのイナゴが、何百キロ何千キロと飛来し、麦とか米などの穀物はもちろん、草木を一本残らず食べつくしてしまうっていう自然災害。現代でも、中東から中国にかけてのユーラシア大陸では、よく起きている現象です。聖書にも蝗害の描写はありますし、横山光輝三国志にもたびたび登場しましたから、数千年前から人類を悩ましてきたのでしょう。

そのイナゴ。普段は緑色の、まぁごく普通のバッタみたいなやつです。田んぼの稲をカジカジし、たまに佃煮になってデパ地下に並んだりしてますね。長距離飛行できるような体型じゃないんですが、これが「蝗害」を引き起こすイナゴとなると、体は茶色く変化し、羽は長くなり、見た目が全く違ってきます。初代仮面ライダーとエグゼイドぐらいの違いがあります。見た目だけだと、同じ昆虫だとは思えない。

イナゴはある条件によって、体を変化させるのです。その条件とは、生育密度。周りに同じ種類のイナゴがたくさんいたら「ここら辺は仲間がたくさんいるから遠くへ行こう」と思うのかどうかは知りませんが、長距離飛行用に形態を変化させるんですね。そして、聖書の時代から人類を悩ましてきた蝗害を引き起こすイナゴとなる。ちなみに、緑色の佃煮原料形態は「孤独相」といい、茶色い長距離用は「群生相」といいます。

生育密度によって生物がその形態を変化させたりすることを、密度効果っていいます。過密は往々にしてストレスを引き起こしたり、その生物の行動変化の理由になったりします。餌不足とかではなく、ただ単に「生育密度」の話です。餌も、動き回る環境も十分にあるのに、「周りに同種がどのくらいいるか」という理由のみでも、生物ってのは大いに影響を受けるのです。

だからといって、単純に生育密度が低ければ低いほどストレスが低いのかというと、そうでもありません。それは、その生物が単独生活を営むものなのか(例えば猫)、集団生活を営むものなのか(例えば犬)によっても違うでしょう。いつか話したように、羊なんかは集団生活を営む代表的な動物ですから、単独で飼うのは難しいです。「1匹」ってことがストレスになるのです。何が最適な生育密度かは、生物種によって違う。

問題は、人間に最適な生育密度はどのくらいかということです。

人間は社会的動物です。「1人」でいるのは、人間にとって苦痛です。どのくらい苦痛かを知りたければ、「Alone~孤独のサバイバー」というテレビ番組をご覧ください。

10人くらいの挑戦者が、それぞれ森の中でサバイバル生活をするのですが、この番組のキモは「孤独」であること。道具は10個ぐらい持ち込めますが、大自然の中にたった一人、放り出されるのです。そして、参加者はお互いに出会うことがないほど遠くにいるし、誰が生き残っているかを知ることもありません。(撮影班もいないから、参加者が自分で撮影している)。で、10人くらいの挑戦者の中、最後まで残った一人に1000万円くらいの賞金が渡される、っていうもの。

この番組を見ていて面白かったのは、飢えや寒さといったことでリタイヤする人は、意外と少ないんです。一番の敵は「孤独」。誰とも話せない、誰も周りにいない、それがすごくストレスになって、屈強な参加者たちがリタイアしていくんですね。人間にとって孤独がいかに辛いことであるか、まざまざと感じさせてくれた番組でした。(興味ある方は、ヒストリーチャンネルとかHULUとかで見てどうぞ)

で。人間は社会的動物であるから、「1人」が最も心地よいわけではない。じゃあ何人ぐらいが人間の最適集団人数なんだろう。

こういうことを研究したイギリス人のダンバーさんって人がいて、いろんな原始社会とかの研究をして、おそらく100~250人くらいが適正なじゃないか、って意見を出しました。平均をとって、150人くらいて言われてます。それ以上の集団になると、自然の本能に頼っていては集団形成ができない。身近な例でいえば、社員150人くらいまでならワンマン社長でいけるけど、それ以上の集団にしたければきちんとした組織化が必要ですよ、という話。

そこで。僕は思うのです。皆さん、今日、何人の人と出会いましたか? というか、何人の人を「見ましたか」?

東京に住んでいる人だったら、おそらく数千人の人を見ていると思うんですよね。駅で、道路で、お店で。名前を知らない人を数千人は見ていると思います。でね、僕は思うんですよ。それって異常なことだよね、と。

イナゴが自分の意思ではなく、集団密度によって体を変化させてしまうように。人間の体は、変化こそしないかもしれませんが、集団密度によって何らかの影響は受けているだろうと思うのです。視覚、聴覚、嗅覚。全身の感覚で、数千人の「人間」の情報を得ている。おそらく、現代社会のほとんどの人にとってそれが当たり前のことなのでしょうが、それは異常な環境を通常だと思っているだけなんです。人間って、何千人、何万人という「人間」の情報を処理できるようには、できていないんです。

だって皆さん、田舎に来ると気持ちがいいでしょう。自然の中にいると、気持ちがいいでしょう。わざわざ休日に山を歩きに行ったりするわけでしょう。で、気持ちいいでしょう。その気持ちよさの理由の一つは、周りに人間がいないことです。大自然の中に、観光客がいっぱいいたら、うんざりするでしょう。

僕は「見る」人間の数が1日で10人以下なんていうのは普通の生活をしていますので、たまに東京に行くと「うわ、人多いな」と思います。でも、普通そんなこと思わないでしょう。今日、「人、多いな」と思ってないでしょう。でもね、多いですよね。人間。